乳母
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

珍例としては、一条天皇の母である東三条院(詮子)の愛猫長保元年(999年)9月19日に子猫(コマ)を生んだため、天皇は子猫に従五位下を与え、「馬ノ命婦」という五位の女官をその子猫の乳母に任じたと『小右記』に記述されている[4]。これは一種のペットシッターといえる。アイヌイオマンテ熊送り)もヒグマの赤子が育つまでの間、一時的に人間が母乳を与える乳母の役割が見られる(「イオマンテ」「ヒグマ#人間との関わり」を参照)。

和名類聚抄』(10世紀中頃)巻二「男女類」乳母の項目の表記として、「ちおも」は「知於毛」、「めのと」は「米乃止」と記される。

日本の場合、特に平安時代から鎌倉時代にかけて「めのと」と呼ぶ場合には「うば」よりも範囲は広く、「養育係」の意味もあり、女性だけではなく夫婦でそれに当たるケースが多い。例えば『奥州後三年記』の「家衡が乳母千任といふもの」などでは千任は男性である。また、養育係の男性を「傅(めのと)」とも呼んだ。アジアにおいて、「めのと」して知られる人物としては釈迦の叔母(釈迦の生母の妹)である摩訶波闍波提がいるが(一例として、『増鏡』巻四「三神山」に引用が見られる)、乳育に関しては否定説が見られる(詳細は「摩詞波闍波堤」の「結婚と釈迦の養母」の項目を参照)。

乳母に世話を受ける養い子にとって、乳母の子供は「乳母子(めのとご)」「乳兄弟(ちきょうだい)」と呼ばれ、格別な絆で結ばれる事があった。軍記物語においても、主人の傍に乳兄弟が親しく仕え、腹心として重宝される情景が少なからず描かれている(例:『平家物語』の木曾義仲今井兼平)。源頼家のように、乳兄弟(比企氏)を優遇したために実母方(北条氏)に疎まれるということもあった。

江戸時代、各藩の江戸藩邸の奥女中の職制では、藩邸で赤子が産まれた場合、臨時職として、乳を与える乳持(ちもち)が設けらる場合も見られた[5]

イスラム教圏では乳兄弟は特別な関係とされ、実の兄弟と同等とみなされる。このため、シャリーアでは乳兄弟にあたる男女の結婚を禁止しているほどである。

その関係は人外の伝承にもおよび人間がグールの母親の乳を吸うとグールと義兄弟となるという伝承がある。
主な乳母

乳母養い子
県犬養三千代文武天皇
藤原繁子一条天皇
弁乳母禎子内親王
藤原豊子後一条天皇
大弐三位後冷泉天皇
藤原光子堀河天皇鳥羽天皇
藤原実子鳥羽天皇
藤原宗子崇徳天皇
藤原宗子(池禅尼)重仁親王
藤原朝子後白河天皇
比企尼源頼朝
寒河尼源頼朝
山内尼源頼朝
平時子二条天皇
藤原経子高倉天皇
藤原領子安徳天皇
藤原輔子安徳天皇
治部卿局守貞親王
河越尼源頼家
阿波局源実朝
藤原兼子後鳥羽天皇
藤原範子後鳥羽天皇
藤原保子後鳥羽天皇
春日局足利義満
今参局足利義政
養徳院織田信長
片倉喜多伊達政宗
大蔵卿局淀殿
饗庭局淀殿
大局淀殿
民部卿局崇源院
宝光院 (くす)京極竜子
大姥局徳川秀忠
正栄尼豊臣秀頼
宮内卿局豊臣秀頼
刑部卿局千姫
乳母局珠姫
春日局徳川家光
昌清尼徳川忠長
少納言局後水尾天皇
松坂局徳川綱重
文英尼[注 6]霊元天皇
大崎局徳川家斉
歌橋徳川家定


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef