九龍城砦
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1984年にイギリスのマーガレット・サッチャー首相と中華人民共和国の趙紫陽首相が行った英中共同声明調印により、香港が1997年7月1日に中華人民共和国に返還されることが決まり、1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、周囲のアパートや郊外のベッドタウンに政庁が建設した高層アパートへ住民を移住させる方針を発表したが、補償などの問題で住民はこれに異を唱えた。また何十年もの間行政が立ち入ることはなかったが、共同声明の後に漸く香港警察の警官が定期的に巡回を行った。その頃には香港の他地域よりもむしろ城内の方が安全であったと伝えられている。

九龍城砦が取り壊される直前の1990年代初頭には、0.026km2(約200m×120?150m)の僅かな土地に5万人もの人々がひしめき合って人口密度は約190万人/km2と世界で最も高い地区であった。これは1枚に対して3人分の計算である。比較参考値として東京ドームの面積は0.0467km2、観客席の収容人数は4万5000人である。
取り壊し1991年の九龍城砦、周囲に整備された公園から望む九龍寨城公園(2005年)

1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、1995年には、同じ街区の低層スラムとなっていた箇所で早期に整備され、小規模のサッカー場やバスケットボールコート、マウンテンバイクの走行コースなどが設置された賈炳達道公園 (Carpenter Road Park) や、同時期に建設されたショッピングセンターの九龍城廣場 (Kowloon City Plaza) に隣接する形で、九龍寨城公園 (Kowloon Walled City Park) が造成された。

再開発後の九龍寨城公園には中国趣味の庭園や、在りし日の九龍城砦の状況を簡単に展示する資料館がつくられた。この資料館は九龍城砦の中心に最後まで残され老人ホームとして使われていた砦時代の平屋の兵舎を改修、そのまま流用している。

また、九龍城砦の解体時に廃棄物の中から発見された扁額大砲などの多くの文化財は当初香港政庁の計画では九龍の尖沙咀 (Tsim Sha Tsui) にある香港歴史博物館で保存、展示する予定であったが城内に住む住民の抗議により九龍寨城公園の資料館で保管することになった。
現在

1998年の旧:香港国際空港(啓徳空港)の移転などで九龍城上空の騒々しさは無くなり、活気ある商店街を中心に周囲は閑静な住宅街となっている。九龍寨城公園へは観光客が時折訪れるものの、普段は周辺住民の憩う公園となっており、太極拳やスポーツイベントなどの各種文化活動も住民と地元役所の手により行われている様である。庭園には東屋十二支といった石製の置物も設置され、どことなく不思議な趣を感じさせる場所となっている。公園北側の高台からは、九龍城街区の街並みが一望できる。
環境

城砦が行政サービスを全く受けなかったというのは誤解である。形式的には国や中華民国時代から中華人民共和国時代にかけて、広東省宝安県(現:深?市宝安区)の管轄下だったが、上記の通り放置状態で、実際は香港政庁が受け持っていた。

上下水道・警備・街灯の設置・福祉サービス・ゴミの撤去に関しては城外に影響するため例外的に行われた。しかし住環境は何十年も一向に改善されず劣悪の極みに至り、暗く混沌とした雰囲気は全くもって払拭されなかった。

例えば上水道に関しては1963年から供給が始まったが需要に追いつかず、住民は業者に頼んで供給を受けていた。また、配水システムは荒削りなため不安定であった。下水道は1970年代に香港政庁が導入した。それまでは通路に作られた排水溝に廃棄されていたため、井戸水が汚染され水の供給・衛生面に問題を起こした。日に2トンにもなる廃棄物の収集は香港政庁が実施した。香港政庁はゴミ箱をいたるところに設置していたが、スペースがあるとそこにゴミが廃棄されてしまうため、中にはゴミよけのビニールシートを天井に設ける者もいた。電気の供給は1977年から開始された。しかし、多くの住民が上水道同様、違法に引き込み線を設置していた。

通路には住民が勝手に引いた電気電話線アンテナ同軸ケーブル下水道といったライフラインが無計画に管となって張られ束で頭上を通過した。

九龍城一帯は啓徳空港の飛行区域であったために14階又は45m以下の高さ規制が設けられていたが、九龍城砦ではそれを無視するかのように末期には最高15階建てのRC構造の建築が見られた(だがそれだけ天井が低い建物だったのだが)。これだけの高層建築にもかかわらず、建物内にはエレベーターがたった2基しかなく、また建築に関する法律は高さ制限以外一切無視され無謀な増築が繰り返された。

当然のことながら防災といった観念は一切考えられていなかったため、建物が折り重なり、日の光が一日中入らない部屋や窓のない部屋が普通であり、水道管や電線がカオス状に広がっていた。なお、城内で一番場所が良い所とされていた東頭村道は、比較的大通りに面しており、また日の光の射す場所であった。龍城路もまた少しだけ日の光が射している道であり、路が比較的一定であったために地価が比較的高かった。ちなみに通路の途中には光明路と龍城路が一路になっている所があり、そこから龍津道に出ることができた。

青空の見える唯一の場所であった九龍城砦の屋上からは、周囲に高い建物が無かったため香港島の超高層ビル群やヴィクトリア湾が一望できたという。数十メートル頭上には空港へ離着陸する巨大な旅客機が絶えず通過していった。

この中で住民達は結束し団結した。そのコミュニティーはとても発達しており、救世軍幼稚園や香港の小学校や中学校に相当する施設である「龍津義學」、また老人ホームに相当する施設も備えられていた。幼稚園には身分証がなくても入ることができ、月謝は無料だが100香港ドルの寄付を募った。名前のとおりキリスト教と縁が深い幼稚園だったので、日曜日には教会にもなった。
城内地名(街道)九龍城砦の通路(1993年)九龍城砦、外界に面した部分(1991年)

九龍城寨は面積の非常に限られた所だったが230にも及ぶ通路の名前があった。城内の主要な地名は南北又は東西に渡ってメイン通路を形成していた。そしてその通路から幾多の支線が出ていて城を形成していた。
南北通路
龍津路

龍津路 (Lung Chun Road) は、龍津後街、龍津一巷、龍津二巷、龍津三巷、龍津尾巷、龍津巷と言う6つの街区に分かれていて、幾多もの通路に繋がっていた上、最古の街道であり、唯一城門のところに城門と城門の橋を繋ぐ橋渡しがあったとされる。道沿いには古砲、龍津義學があった。
龍津道

アーケード街。
東頭村道

歯医者が多く、また城内で最も地価が高い所であった。
東西通路
龍城路

龍城路 (Lung Shing Road) は九龍寨城の内外を東へ繋ぐ一筋の道で、南北に繋ぐ東頭村道のジャンクションの代わりにもなっており、封鎖されている東頭村道の南側の通路の橋渡しにもなっていた。そのためか龍津道と龍津路の間や、又住益華樓と東南樓の三叉路にもなっており、いつの間にかこの街道に来てしまうことが多かった。龍城路と龍津道は隔離されていたために寨城の人それらを繋ぐ路を作った所から、龍津路の一部として認識している人も居たようだ。九龍寨城の代表的な通路とされる場合もある。
光明街

龍城路から一路横に行った光明路はその名に反して日が一日中当たらず、携帯電話の電波はおろかアマチュア無線でさえ全く通らない場所であった。娼婦達が立ち、アヘン窟などもあった。
老人街

道沿いに青年センターがあった。
大井街

大きな井戸があった。
西城路

龍城路と対になった道。民家が多かった。
建築九龍城砦の模型の上面

元々はほんの数件の木造住宅が建つ程度の土地であったが、香港政庁に燃やされ煉瓦の家が建てられた。1951年頃に不審火が原因と思われる火災により3000軒以上の家が焼失。その後大きなRCコンクリート建のアパートが目立つようになる。

とりわけが貴重だった地域なので尿でコンクリートを練成したこともあったが流石に海水は使えなかったようである。最初に深く土地を掘り下げて3階建てのマンションを建て、互いに建物が寄りかかることにより幾分か強度が増し、順に建物が大きくなっていった。

建物は、高さ制限以外の規制は実質的に不可能となっており、九龍城砦内の建物は計画や設計図を行政に提出する義務はなく、実際にラフスケッチで作られた建物が多かった。それ故に各棟の建物の階数や各階の高さが違い、カオス的な外観の一因となっていた。また、行政に納める経費の少なさから建物の建設費のコスト削減にも繋がっていた。そして各棟の建物は独立していて微妙な隙間もあり、隣接する建物同士の水平のラインについては無視されていた。

城砦内には1847年に清が建てた煉瓦造りの建物も残っており、スラムの取り壊し後には香港法定古跡に指定されている。
影響

九龍城砦は何よりも都会にある秘境的なイメージが先行し、特に日本では1980年代にはカルト的に半ば伝説化した。中には観光バスで乗り付け、内部を探索するというツアーまで登場した。折しも香港が返還されるにあたり、史上最大の帝国だったイギリス帝国の最後の植民地であり[3][4][5][6][7]、自由を抑圧する共産圏に呑み込まれてしまう「自由な西側先進国」に近い資本主義都市である香港の先行きを憂慮する風潮と重なったため、植民地支配の象徴でもあった九龍城砦を外国メディアは多く取り上げた。


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