『日本書紀』(養老4年(720年)完成)では、「日本」を「大八洲国」(おおやしまのくに)、「九州」を、「筑紫洲(つくしのしま)」と表記しており、その中に筑紫国、火国、豊国、日向国、熊襲国が現われる。
「九州」の由来「九州王朝説#九州」も参照
16世紀の戦国時代を描いた軍記物語として知られる『陰徳太平記』(享保2年(1717年出版)序に、「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような近世の書物においては、明確に「九州」という名称を見出すことができる。しかしこの名称がいつ生まれたか正確な時代は不明である。鎌倉時代後期に作成された吾妻鏡の元暦2年(1185年)2月13日と2月14日の記事では、源範頼が「九州」を攻めようとしていることが記載されている。もともと中国では周代以前、全土を9つの州に分けて治める習慣があったことから、九州とは9つの国という意味ではなく、天下のことを指す(参考:九州 (中国))が、平安時代後期に朝廷が発した保元新制で使われている「九州」の意味も、こちらである。また新羅の九州の実例もある[12]。 一般に「九州」とは、令制国の西海道のうち筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国の9国の総称とされている[13]。四国と同じ理屈で、九国(きゅうこく、くこく)とも呼ばれたといわれる。 この令制国に基づく定義では、九州島の九国と、この九国に編入された周辺の附属島嶼が「九州」の範囲となる。ただし周辺の島嶼が九国の令制国に編入された時期はそれぞれ異なるため、歴史を通し一義的な範囲には定まらない。 このように編入時期が異なる事による意識および解釈の差が存しうるが、少なくとも一度も編入された事がない壱岐、対馬、および沖縄県の領域は、令制国上の「九州」には含まれないことになる(なお、奄美群島は日本本土における廃藩置県・府県合併および琉球処分の後に大隅国《鹿児島県》に編入されたため、行政区分としての「九州」に組み込まれたのはそれ以降である)。さらに後述の太平洋戦争終戦後のアメリカ統治時期も令制国の範囲に変更はないので、この定義に変化はない事になる。 上記九国とともに対馬、壱岐を含む西海道は、九国二島、九州二島とも呼ばれた。また、西海道の別名として鎮西とも呼ばれていた。 廃藩置県・府県合併以降[注 5] は、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の8県を指して「九州地方」とされ[14]、これにより令制国上の「九州」には含まれなかった対馬・壱岐・奄美群島・沖縄県の領域をも含む事となった。 一方、単に「九州」とする場合はそのうち沖縄県を除いた7県がその対象とされる[15]。よって、令制国上の「九州」と比較すると対馬・壱岐・奄美群島が加わる事となった。 トカラ列島の一部、奄美群島および沖縄県の領域は太平洋戦争終戦後、アメリカに占領され日本に返還されるまでの間に一時的に日本の施政権が停止されるが、実質的取扱(実効支配)はともかく、「九州」の範囲に影響を与えたことはない。(なお、トカラ列島は上三島が日本に残留し、下七島が施政権停止されたため、両者間で地方公共団体が分離される事となった。) 以上のように単に「九州」と言うと西海道九国の領域、あるいは廃藩置県・府県合併以降の7県(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県)の領域を指す。いっぽう「九州地方」に沖縄県を含める百科事典が多いが[13][16][注 6]、実際には沖縄県を含めた8県の場合は「九州・沖縄地方」との呼び方が使われている。 歴史上も、「九州地方」などと言う地方区分の概念が導入されたのは廃藩置県後の明治時代以降であると考えられる(それ以前は令制国による区分であった)。なお、近現代の法令上、行政上の区分は、個別の法制度に基づくため、必ずしもこれらとは一致しない。例として九州総合通信局の管轄範囲に沖縄県は含まれない。行政機関の地方支分部局や企業の営業地域などでは沖縄県を九州地方に含む場合も多く、あるいは沖縄を含むことを明示するために「九州・沖縄地方」と表現する場合が一般的である。 例として『NHK年鑑』では見出しを「九州」とする一方で、本文中では「九州・沖縄」と表現している。テレビ番組としては九州朝日放送制作のブロックネット番組「スーパーJチャンネル九州・沖縄」などがある。 また、本州に位置する山口県は、令制国は山陽道の周防国、長門国に属し中国地方に区分されるが、北九州地方(かつての豊前国)に地理的にも近く歴史的な縁の深いこともあり、山口県を便宜上の同一区分に含めることもある。その場合は明示して「九州・山口地方」と表現する[注 7]。
令制国上の「九州」
対馬国と壱岐国は九国に編入された事は一度もない。
五島列島は値嘉島として876年に肥前国より一時分立するが、それ以降は肥前国である。
大隅諸島の種子島・屋久島は702年に多禰国として分立するが824年以降大隅国に編入されている。
トカラ列島(十島)は1227年(鎌倉時代)に薩摩国へ編入された(のち大隅国)。
奄美群島は1879年(明治12年)4月に大隅国(鹿児島県)へ編入。それまでは名目上琉球の領域とされていた。
沖縄県の領域は、琉球王国時代と以前は元より、そもそも令制国に編入された事は一度もない。
近現代の「九州」
九州・沖縄地方
「九州」に沖縄県を含む例
警察庁 九州管区警察局
総務省 中央選挙管理会 衆議院比例九州ブロック
法務省 福岡矯正管区、九州地方更生保護委員会(那覇分室)、福岡入国管理局(那覇支局)
公安調査庁 九州公安調査局
林野庁 九州森林管理局
厚生労働省 九州厚生局(沖縄麻薬取締支所)
中央労働委員会 九州地方事務所(沖縄分室)
門司地方海難審判所(那覇支所)一部山口県も含む
環境省 九州地方環境事務所
防衛省 陸上自衛隊西部方面隊
福岡高等裁判所(那覇支部)
「九州」に山口県を含む例
水産庁 九州漁業調整事務所
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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