久間章生
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2002年6月に鈴木宗男事件が発生して衆議院本会議鈴木宗男議員辞職勧告決議が採決された時は、起立採決の際に出席議員で唯一着席したままで、反対票の意思表示を示した[注釈 1]。小泉政権下では、2003年に自由民主党幹事長代理、2004年?2006年に自由民主党総務会長に起用される。2005年郵政国会では6月28日自由民主党総務会における郵政民営化法案の決議においては、総務会長として議事を担当し、全会一致の慣例を破る形で多数決で採決させ党議拘束の理由を作った。

2006年9月26日、第1次安倍内閣で再び防衛庁長官として再入閣。その後、2007年1月9日に防衛庁が防衛省に昇格したのに伴い、初代防衛大臣となったが、2007年6月30日に開かれた講演会での原爆投下をめぐる発言で、被爆者団体を筆頭に被爆者や遺族などから問題視され、同年7月3日、この発言の責任を取る形で大臣の座を追われた。その後もマスコミによる批判報道や、反核平和団体や、被爆者団体などからの反発や、抗議活動が続き、同年8月9日に長崎で行われた平和祈念式典を欠席せざるを得ない状況に追い込まれた。(→後述を参照)

士志の会に属し、同会を構成する麻生太郎の後見人的立場にある。
略歴第1次安倍内閣防衛庁長官当時の久間章生。日本で最後の防衛庁長官であり、なおかつ初代の防衛大臣も務めた。

1959年3月 長崎県立口加高等学校卒業。

1964年3月 東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。

1964年4月 農林省入省。

1970年 農林省退官。

1970年 長崎県庁入庁。

1971年4月 長崎県議会議員に当選。以後3期9年間を務める。

1980年5月 長崎1区より第36回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選。

1987年11月 運輸政務次官に就任。

1994年1月 自民党国会対策副委員長に就任。

1996年1月 自民党副幹事長に就任。

1996年11月 第2次橋本内閣防衛庁長官に就任。

2003年9月 自民党幹事長代理に就任。

2004年9月 自民党総務会長に就任。

2005年10月 自民党総務会長に留任。

2006年9月 第1次安倍内閣防衛庁長官に就任(2回目の就任)。

2007年1月 防衛省発足に伴い、初代防衛大臣に就任。

2007年7月 防衛大臣を辞任。

2009年8月 第45回衆議院議員総選挙に出馬するも、民主党公認の新人福田衣里子に敗れ、比例代表九州ブロックでの復活当選もならず落選。

2012年12月 第46回衆議院議員総選挙には出馬せず、翌年政界引退を正式表明。

2013年4月 旭日大綬章を受章[4]

政治姿勢
イラク戦争

2006年12月8日真珠湾奇襲の日)の午前の記者会見で、前日(12月7日)の参院外交防衛委員会において「小泉純一郎前首相がイラク戦争を支持したのは非公式」とした自らの発言について「不勉強で間違いだった」と訂正し、撤回した。内閣総理大臣(当時)小泉は開戦時に緊急記者会見して「武力行使を理解し、支持する」と表明、首相談話も閣議決定していた。なお、上記の訂正記者会見においても、久間自身はイラク戦争を支持しないことを明言している。防衛庁長官を2回務めた政治家であるが、イラク戦争については戦争の大義に懐疑的な認識の持ち主であった。

2007年1月25日には、「日本記者クラブ」における会見で「イラク大量破壊兵器があると決め付けて戦争に踏み切ったブッシュ大統領の判断は間違いだった」と述べた。イラク戦争を支持している第1次安倍内閣において、久間の発言は閣内不一致であるとの批判がなされたが、内閣官房長官塩崎恭久は「久間氏の個人的な、閣僚としてではなくいち政治家としての意見であり、閣内不一致ではない」と強調した。政権側は大統領批判ではないと釈明した。1月29日午後衆議院本会議において、民主党の松本剛明にこの点を追及された久間は「(開戦)当時、閣外にあって感じた感想として述べたもので、防衛相としては(米国支持の)政府の立場を支持している」と釈明した。

同年2月22日の衆議院安全保障委員会では、「閣僚は他国にどういう形で伝わるかも計算した上で言わなくてはならない。(ブッシュ大統領の)教書演説が発表された日に、そう言ったこと自体が配慮に欠けていた。反省している」と答弁した。この発言については米国から日米同盟を損なうという抗議が来たほか、米国務省日本部長のジェームス・ズムワルトは「大統領を批判するような発言が繰り返されれば、日米安全保障協議委員会(2プラス2)の日程設定が困難になりかねない」と批判。米国は日米安全保障協議委員会の開催に当分応じない見込みと報じられた。軍事ジャーナリスト神浦元彰外務省が米国の意向を先回りして、そのように伝えたのではないかとする説を出した[5]

一方で、「既に明らかになりブッシュ大統領も認めているが、開戦の大義であった大量破壊兵器はイラクには存在しなかった。(それなのにイラク戦争を批判したところで)そのことで米側から抗議を受けるものだとはとても思えない」などの反論もある[6]。自民党内では、加藤紘一が久間を擁護し、「なぜ批判を受けなければならないのか。(イラク戦争開戦の誤りは)世界の常識だ」と政府側に詰め寄ったという[7]
沖縄米軍基地

イラク戦争については米国を批判したが、他方在日米軍については、米国に協力的であった。しかし2007年に入り、「アメリカは沖縄の人々の気持ちを理解してくれていない」と米国の意に反する発言をしたため、来日したチェイニー副大統領との会談を拒否される事態となった。チェイニーは自衛隊の最高責任者である久間を無視して、自衛官(制服組)トップの齋藤隆統合幕僚長を始めとする自衛官幹部と会談した。

2006年10月、沖縄県米軍嘉手納基地に、米軍がパトリオット地対空ミサイルシステム (PAC-3) 配備を強行した。久間は11月7日の衆議院安全保障委員会の答弁で「今北朝鮮ミサイルの実験をやった、核実験をやった、そういう中で、パトリオットをせめて沖縄に配備しておかなければいかぬ(中略)我々としては素直に、これは、日本の防衛の中で手薄である沖縄については、せめて嘉手納を、自分の基地があるわけだから、そこについてはアメリカが責任を持って防御しましょうということでまずやってくれたということは、私は歓迎すべきことじゃないかなと思う」と述べた。


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