2018年1月、株式会社GA technologies社外取締役就任[11]。
2019年4月、スマートニュース株式会社社外取締役就任[11]。
2020年8月、アセントロボティクス株式会社代表取締役兼CEO就任[11]。
2022年4月、近畿大学情報学部の学部長に就任[13]。
発言
1999年3月29日 - エンターテインメントについては「人間の本質」「言葉とか人種の壁を超えて受け入れられる」、また「ゲームの定義を自分で狭めちゃってる」「いつまでたってもピカチュウ。だからぼくはコンピュータ・エンターテインメントと言ってる」と語り、ファミコンについては、サウンドトラックが4本しかなく音の遅延(ディレイ)もないことから、「そんなもんで音楽なんてやれませんよね」「普通の人はそれで感動するかというと、ぼくは感動しないと思う」「クリエイターがやりたいと思ってることがやれるかどうかというのがキー」と答えている[14]。
1999年7月26日 - 将来について「最大のライバルは携帯電話」「最大の娯楽はコミュニケーション」「携帯電話の形態もかなり変わっている」[15]
2004年5月18日 - 報道陣の「PSXの世間の評判についてどう思うか」という質問に対し、「何言ってんだと思った。家族はみんなPSXを使っている」。ジャーナリストの西田宗千佳によればこの報道陣とは西田宗千佳のことであり、正確には西田の「PSXが、意図した『気楽なレコーダー』として評価されず、ダビングなど機能の有無や性能スペックだけで『ダメな商品』とみられている。このことをどう思うか。是正の策はあるか」という質問に対し久夛良木が「何言ってんだ、と思ったね。(マニア向けに作ったのではなく)使いやすさ重視で作ったのだから、そこを見て欲しい。実際、うちでは、かみさんや子供が喜んで使っていますからね。この製品のポイントは誰でも使いこなせる快適さなんですから」と返答したものが別のニュアンスで伝えられたのだという[16]。
2005年1月24日 - PSP1000型の初期不良[注 4]について、「これが私が考えたデザインだ。(使い勝手については)仕様に合わせて貰うしかない。これは僕が作ったもので、そういう仕様にしている。明確な意思を持っているのであって間違ったわけではない」「世界で一番美しい物を作ったと思う。著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖をつける人はいない。それと同じこと」と語り[17]、ユーザーの不興を買った。数か月後にこの事実をSCEが不具合と認め、これらの初期不良は無償修理となったが、同時期に発売したニンテンドーDSとのシェア争いで大きく遅れを取ってしまう一因となった[注 5]。
2005年5月27日 - 朝日新聞にてPS3に対し、「(PS3の強力なハードウェアをさして)BMWにフェラーリのエンジンを載せるようなもの。任天堂はかわいい新型のファミリー車[注 6]あたりか」[18]。
2006年5月9日 - PS3の価格に対して、「安すぎたかも」[注 7]「高価なレストランで食事をした時の代金と、社員食堂での食事の代金を比べるのはナンセンスですよね?これは極端な例ですが、まさにそういうことなのです」[19]
2007年5月1日 - EEtimesのインタビューにて、「当然のことだが、私自身の中には、ネットワークと融合させて楽しむプレイステーション4、5、6というビジョンがある」、「ソニーのプレイステーション3の設計チームに、今後2年間に取り組むべき、コスト削減に向けた構想を引き継いだ」、「そして今、さらに大きな世界で仕事に取り組む準備が整った。今後もソニーとは良い関係を続けていくつもりだ」と語った[20]。
2007年9月20日 - PS3が任天堂Wiiの後塵を拝している現状に対して、「(PS3は)少し先を行き過ぎたかもしれない」とする一方で、「日本の電機メーカーは進化が止まっている印象がある。グーグルやマイクロソフトなどパソコンの世界も同じだ」といらだちを見せた。「投資ファンドが常にエグジット(資金回収)を求め、利益の伸びが少し鈍ると株は売り浴びせられ、『2ちゃんねる』でたたかれる。やりたいことができない」という現実があると指摘。「若い人も株式公開など小さなサクセスで満足してしまう」と苦言を呈した[21]。
2013年1月29日 - 日経ビジネスオンラインでPSをネットに「溶かす」こと(シンクライアント、クラウドコンピューティング、クラウドゲーミング)についてやゲーム機の進化が遅いと不満を語った。
2022年4月、近畿大学に新たに誕生した近畿大学情報学部の初代学部長に就任した[22]。久夛良木は「私も近畿大学情報学部では、面白いことをやりそうな先生と学生をたくさん集めて、いろいろなことにトライして、面白いことをやっていきたいと考えています」とインタビューで語った[23]。
略歴
1969年3月、早稲田高等学校卒業。
1975年3月、電気通信大学電気通信学部電子工学科卒業。
1975年4月、ソニー株式会社入社。
1993年4月、ソニー株式会社ホームビデオ事業本部コンピュータ・エンターテイメント事業準備室室長に就任。
1993年11月、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) 取締役開発部長に就任。
1999年4月、SCE代表取締役社長に就任。
2000年6月、ソニー株式会社取締役に就任。
2003年4月、ソニー株式会社取締役、執行役副社長兼ホーム、ゲーム、半導体担当COOに就任。
2005年3月、ソニー株式会社取締役、副社長兼COOを退任、同社グループ役員に就任。
2006年12月、SCE代表取締役会長兼CEOに就任。
2007年6月、SCE代表取締役会長兼CEOを退任、同社名誉会長に就任。ソニー株式会社グループ・エグゼクティブを退任、同社シニア・テクノロジーアドバイザーに就任。
2007年11月、Academy of Interactive Arts & Sciences (AIAS) より、「特別功労賞 (Lifetime Achievement Award) 」を授与。
2008年4月、Consumer Electronics Association (CEA) より、「HALL of Fame」を授与。
2008年6月、株式会社角川グループホールディングスの社外取締役に就任。
2009年、株式会社角川メディアマネジメント(現・株式会社角川マガジンズ)の社外取締役に就任。
2009年4月、立命館大学大学院の客員教授に就任。
2009年12月、電気通信大学より、「特別客員教授」を授与。
2009年10月、サイバーアイ・エンタテインメント株式会社を設立、同社代表取締役社長に就任。
2010年2月、楽天株式会社の社外取締役に就任。
2011年6月、株式会社ノジマの社外取締役に就任。
2011年6月、SCE名誉会長を退任。
2013年、株式会社マーベラスAQLの社外取締役に就任。
2014年12月、SCEの企画するプレイステーションアワードにゲストとして登場をする。
2022年4月、近畿大学情報学部学部長に就任[13]。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「夛」は「多」の異体字であるため、姓の「久夛良木」は「久多良木」と表記されることもある。
^ 戦後は目黒区に移転し、現在でも中目黒アトラスタワーに店舗を構えている。
^ オーディオ機器の音量変動に連れてバー表示が変化するもの。ピークメーターとも称される。
^ ??ボタンを押しても反応しない・引っかかって戻ってこないことがあり、液晶画面の大きさとボタン位置の設計に問題があるという指摘が相次いでいた。
^ DSが2004年12月の発売を発表したことで、PSPは十分に量産体制が整う前に発売することを余儀なくされ、年末商戦の時期に品薄が頻発した。またDSと遜色ない価格に設定したことが裏目に出て、5年近くもの間本体を売る毎に1万円近くの赤字(逆鞘)を出すこととなった。