こうした構造は古典的な民話のみならず、物語を作り出す技法として広く応用されており、細部の違いはあっても古今東西の小説や映画などにも見られるものである[21][22]。さらにフィクションだけに留まらず、現実における国威発揚やアジテーションにも応用され、現実の社会情勢を物語の構造に当てはめることで国民全体あるいは指導者自身を物語の主人公であるかのように演出し、民衆の支持を集めるための手段にも用いられている[23]。 広義のドラマ(問題の発生とその問題の解決)を骨格とする物語においては、主人公は物語の中で解決しなければならない何らかの問題を抱えており[24]、ドラマの終わり近く(クライマックス)で、物語上の最大の問題と対決する役割を担う[25]。 しばしば主人公はこの解決に最も貢献するが(例えば化け物退治の物語において、化け物を倒す)、悲劇においては主人公は困難に打ち勝つことができずに命を落とす場合もある[26]。後者の場合は主人公の失敗や敗北を否定的に描くことにより、問題解決のための手段の誤りやその挑戦自体の虚しさを主題とした物語として理解されることもあるが[26]、主人公の死が当初の目的よりもより大きな意味や価値を生み出す場合など、困難に挑んだこと自体は肯定的に描かれることもある[27]。 物語の主題(テーマ)を実行する者が主人公と定義される。例えば冒険活劇において敵対者との対決を迫られた主人公は、しばしば命を賭して己の道徳観や、主人公と価値観を共有する社会基盤を守ろうとする[27]。物語の主題は主人公の行動によって体現され、理想や正義といった目標を実現するための行動こそが物語の主題となる[28]。物語の作者は、主人公をどのように表現してどのような運命を与えるかにより、主人公が体現する主題に対してどのような考えを抱いているのかを表現することができる[26]。 ただし、作品が掲げる主題は台詞による説明ではなく主人公の無言の行動によって示されるが[28][26]、その解釈は作者の中ではなく作品と受け手の間に成立するため[16]、物語の描き方や受け手の価値観によっては、主題が作者の意図と異なる形で伝わってしまう場合もある[26][16]。また、主人公と対立する敵対者たちはしばしば主人公とは相容れない道徳観や倫理に基づいて行動し[17]、主人公が体現する主題を否定する役割を担うが[26]、このような敵対者が体現する主題に共感する受け手にとっては、敵対者が主人公となることもある[17]。
問題を解決する者
主題の実行者