弘仁9年(818年)に従五位下が授けられ(『日本紀略』所引『続日本紀』)、その後承和7年(840年)正五位下、同10年従四位下(以上『続日本紀』)、嘉祥3年(850年)正四位下(『文徳天皇実録』)、貞観元年(859年)従三位、元慶元年(877年)正三位へと累進した(以上『日本三代実録』)。ちなみに、『大倭神社注進状
』には、寛平9年(897年)に従二位へ昇ったと記されている。中世以来安土桃山時代まで小川氏
が神主職を襲い、また別当寺院として金剛峯寺末寺の摩尼山大乗院が奉仕してきた。小川氏は当地一帯(小川郷)の領主と宇陀郡雨師荘の荘官を兼帯し(従って同荘に鎮座する式内丹生神社をも所管した)、在地領主として勢力を誇った(南北朝時代には北畠氏に属し、また長禄2年(1458年)の神璽奪還(長禄の変)に活躍した小川弘光が著名である)が、天正6年(1578年)に筒井順慶に屈してから衰退し、同15年(1587年)に断絶した。以後、江戸時代を通じて大乗院が専管したが、これも明治5年に廃された。主な祭事[32]。
1月16日 - 末社水神社祭
4月16日 - 末社木霊神社例祭
4月17日 - 末社東照宮例祭
6月4日 - 水神祭。水力発電・水道事業など水に携わる企業関係者などが参列する。
7月16日 - 摂社丹生神社例祭。
10月第2日曜日 - 小川まつり(太鼓台奉舁安全祈願祭)別名「喧嘩祭り」。以前は旧暦9月16日に行われたが、大正11年に改めた。「壇尻(だんじり)祭」とも称し、氏子区内から8基の太鼓台が繰り出し、境内を乱舞する。大和三大祭りの一つである。
10月16日 - 例祭。
文化財
重要文化財(国指定)
石灯籠 - 指定年月日:1963年(昭和38年)2月14日[33]。
天然記念物(国指定)
丹生川上中社のツルマンリョウ自生地 - 指定年月日:1957年(昭和32年)5月8日[34]。