丸の内ピカデリー
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1924年7月東京市麹町区に『邦楽座』(ほうがくざ)として開場する[2]。当初は歌舞伎宝塚歌劇などを上演する芝居小屋だったが、1927年4月からパラマウント映画の直営館となり、映画興行を開始する[2]1928年には第1回アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『つばさ』(監督ウィリアム・A・ウェルマン)が邦楽座で封切られている[2]徳川夢声率いる「ナヤマシ会」のメンバーだった牧野周一活弁を行ったこともあった。1930年、当館と同じ麹町区内に既存していた帝国劇場が松竹の洋画ロードショー館に転向。邦楽座と競合することになる[3]

その後パラマウント映画が松竹と洋画興行を統合したため松竹の経営に移り、のち松竹キネマの封切館に転換して1934年6月に『丸の内松竹』に改名[2]。帝国劇場がライバル会社・東宝の傘下となった1940年1月、館名を邦楽座に戻したものの[2]、戦後占領軍に接収されて『ピカデリー劇場』と名付けられる。接収解除後も丸の内ピカデリー劇場として、松竹洋画系の基幹劇場となっていた。1947年3月15日、麹町区は神田区と合併統合し、千代田区となる。1949年GHQ民間情報教育局演劇担当者は、日本の現代演劇を育成するためにアメリカ的なロングラン公演を定着させたいと発案。同年5月から丸の内ピカデリーの夜の部を開けさせ、俳優座による『フィガロの結婚』を上演させた。この上演は50日間で35000人を動員した[4]

邦楽座時代からの初代建物は1957年に建て替えられ、「丸の内ピカデリー」「丸の内松竹」の2館体制となった。この年には東宝が自社ビル内に千代田劇場(後の日比谷映画)とみゆき座を新設[5]するなどしており、千代田区内の映画館は24スクリーンに増えていた[6]1961年12月23日封切の『ウエスト・サイド物語』(監督ロバート・ワイズジェローム・ロビンス)は、1963年5月17日まで509日間に及ぶロングラン上映記録を打ち立てている他、1982年12月4日にはスティーヴン・スピルバーグ監督の『E.T.』が同館をメインに封切られ、当時の興行成績を塗り替える大ヒットを記録している[7]

1984年、2代目の建物も有楽町センタービル(有楽町マリオン)の新館建設に伴い取り壊されることになったため、同年10月6日より、既に隣接地に完成していたマリオン本館の9階に移転。ピカデリー1・2の2スクリーン編成となり、約四半世紀の歴史を経て現在に至る。映画以外の多目的使用に対応する改装を施し、2021年11月26日にリニューアルオープンしたが、現在では少なくなった2階席のあるフロア構成を残している。

一方、マリオン新館では1987年に丸の内松竹が再開業し、丸の内プラゼール(1999年)→丸の内ピカデリー3(2008年)と改称したのち2018年12月2日をもって休館し、2019年10月4日にドルビーシネマ専用劇場としてリニューアルオープンした。

2011年3月1日、松竹は映画興行部門をシネマコンプレックス「MOVIX」を運営する子会社の松竹マルチプレックスシアターズ(以下、SMT)に継承したため、現在はSMTの経営・運営となっている。その後もMOVIX系のシネコンと同様のサービスは行っていなかったが、2014年春にSMTが運営する映画館全館のサービス統一に伴いサービスの移行が始まり、同年5月21日に統一を完了している。

2018年3月29日に開館したTOHOシネマズ日比谷では、競合関係にありながらも当館での上映作品が並行して上映されているが、丸の内ピカデリー ドルビーシネマでは対応作品であっても東宝系として公開される映画は一部上映されないことがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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