中野駅(なかのえき)は、東京都中野区中野五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。
旅客営業においては、JR東日本と東京メトロの共同使用駅で、JR東日本が駅を管轄している。 JR東日本・JR貨物の中央本線(旅客営業を行うJR東日本が第一種鉄道事業者、貨物営業を行うJR貨物が第二種鉄道事業者)と、東京メトロの東西線が乗り入れ、接続駅となっている。 乗り入れているJR東日本の路線は中央本線のみであるが、運転系統としては、急行線を走る中央線快速電車、および緩行線を走る中央線各駅停車の2系統が停車する。このうち各駅停車の一部は東京メトロ東西線と相互直通運転を行っている。また、JRの特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。 平日の快速は当駅以西は各駅に停車する。当駅 - 三鷹駅間の所要時間は各駅停車とほぼ同等となる(なお、通過を伴う土休日の快速でも大差はない)。
乗り入れ路線
JR東日本:各線(後述)
東京メトロ: 東西線 - 当駅を起点としている。駅番号「T 01」
中央線(快速):急行線を走行する中央本線の近距離電車。八王子駅・高尾駅方面の列車の他に、立川駅から青梅線へ直通する列車も運行している。 - 駅番号「JC 06」
中央・総武線(各駅停車):緩行線を走行する中央本線の近距離電車。新宿駅を経由する中央・総武線の他に、当駅から地下鉄東西線へ直通する列車も運行。東京メトロ東西線直通列車は西船橋駅から東葉高速線への直通運転を行っている他、平日の朝夕ラッシュ時のみ津田沼駅まで総武線(各駅停車)への直通も行っている。 - 駅番号「JB 07」
歴史
1889年(明治22年)4月11日:新宿駅 - 立川駅間開通と同時に甲武鉄道の駅として開業。旅客および貨物の取り扱いを開始。現在の駅舎の位置より100mほど西側にあった。当初は現在の中野坂上駅の位置に開業する予定であった。
1904年(明治37年)8月21日:飯田町駅 - 当駅間で電車運転開始[2]。
1906年(明治39年)10月1日:甲武鉄道の国有化により、官設鉄道の駅となる[3]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により中央東線(1911年から中央本線)の所属となる[3]。
1929年(昭和4年):現在地に移転。その際、現在の駅の西側にある通り(中野通り)を掘り下げ、南北の通行を可能にした。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道発足[4]。
1963年(昭和38年)5月16日:貨物の取り扱いを廃止。
1966年(昭和41年)3月16日:営団地下鉄東西線の駅が開業。
東西線開業前は、現在の1・2番線が中央線(各駅停車)ホーム、3・4番線が中央線(快速)ホームであった[5]。東西線建設に伴い、北側の貨物設備と北口広場を縮小して5・6、7・8番線ホームを新設し、中央線(快速)を移設させ、3・4番線ホームを東西線用に転用した[5]。
1987年(昭和62年)
3月31日:貨物の取り扱いを再開。ただし、車両輸送に限り定期貨物列車の設定はない。
4月1日:国鉄分割民営化により、中央本線の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)と日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[6]。
1992年(平成4年)3月17日:自動改札機を設置し、使用開始[7]。
2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる[報道 1]。
2004年(平成16年)4月1日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)民営化に伴い、東西線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される[報道 2]。