中部日本放送
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注釈^ 定款で定められた略称の他、「中日放送」、新聞の証券欄などでは「中日放」と略される。(銘柄略称)
^ 旧名証1部。
^ ただし、元毎日放送社長の斎藤守慶は、NHKの前身の3つの社団法人こそ民放第一号だという説を唱えている(出典:『放送新時代?「星の時代」の挑戦?』)。
^ この日は、日本初の民間放送のラジオ放送の予備免許が、全国の16局に対して、一斉に交付された。その内の1局である。
^ 予備免許は新日本放送の方が早いが、こちらの本放送は正午から。
^ a b 『TBS50年史』各種資料(P54の記述・資料編掲載の年表・DVD-ROM『ハイブリッド検索編』ラジオ番組データベース収録『大相撲春場所実況』データカード)を参照。
^ 『東京放送のあゆみ』P500、『TBS50年史』(P54の記述・DVD-ROM『ハイブリッド検索編』ラジオ番組データベース収録『大相撲春場所実況』データカード内記述)を参照。
^ 同放送の開始は、東海3県では東海テレビとともに初。カラー放送最初の番組は、「カラー日本めぐり」(午前11時15分からの30分番組)。
^ 小堀は当日7時から自身が担当する「小堀勝啓の新栄トークジャンボリー」があるが終了後駆けつけた。
^ 番組開始当初、東海地区に於いて民放テレビのスタジオ番組制作のカラー制作は、例がなかった。
^ 当時CBC社長を務めていた小嶋源作は、朝日放送が朝日新聞社からネットチェンジを迫られている今こそ、こちら(五社連盟)から朝日放送に対してテレビネットワークの打ち切りを通告すべきと考えていたという。(小嶋源作「CBCとともに」より)
^ 当時は三重県桑名郡長島町
^ 郵便番号が7桁化される前は大口事業所個別番号として「〒460-05」を使用していた。
^ 「CBC LOVEARTH」→ローソンとなっているスペースは、かつて「レインボースタジオ」というラジオのワイド番組用のオープンスタジオがあった場所で、殆どの生番組はここから放送していた。なお、これとは別に「フロントスタジオ」というテレビ用オープンスタジオもあり、『ぱろぱろエブリデイ』『ミックスパイください』『CBCニュースワイド』等の番組がここから放送されていたが、こちらは「CBCスタジオギャラリー」に改装されて絵画などの展示スペースとなっている。
^ エスカにはかつて『エスカスタジオ』というCBCラジオのサテライトスタジオがあり、平日16時台に公開リクエスト番組『ゴーゴージュークボックス』の生放送が行われていた。
^ 3月31日までは東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に対応するため、radikoのエリア規制が解除され、先に本格サービスを開始した関東・関西の13局とともに全国で聴取可能である。
^ JOGXのサインは1958年に当局と同じJNN系列の西部毎日テレビジョンに割り当てられていたが、開局前にラジオ九州と合併しRKB毎日放送関門テレビジョン(JOFO-TV。アナログ放送終了に伴いAMラジオのサインのみ存続)となったため、使用されていなかった。
^ テレビ朝日テレビ朝日ホールディングス)と同日に移行。
^ 読売新聞は1975年、中部読売新聞(現:読売新聞中部支社)として名古屋に進出した。また中日新聞は1956年、東京中日新聞(現:東京中日スポーツ)として東京に進出して、1963年には東京新聞の発行元である東京新聞社の経営に参加。1967年に東京新聞の編集・発行に関する一切の事業を中日新聞社に譲り受けた。
^ 『東海の虹』はCBCの社歌のタイトルでもある。かつて使用されていたラジオの『レインボースタジオ』の名称も『東海の虹』に由来している。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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