2005年時点で中華民国が主張する総面積は 11,418,174km2 だったが、中華民国政府はこれらの情報について公開を取りやめている。これは、中華民国が清朝の全てを継承した国家という認識によるものであり、中華民国は国交のないモンゴル人民共和国(現在のモンゴルの前身)の独立を一旦承認したものの、中ソ友好同盟条約を正式に破棄した1953年にモンゴル独立の承認を取り消したものとされてきた(詳細は対モンゴル国関係を参照)[55]。しかし、2003年に中華民国とモンゴルとの間に事実上の大使館が設置された他、2010年に中華民国政府は「我が国の領土にモンゴルは含まない」との見解を示しており、2012年に大陸委員会は、1946年の中華民国憲法制定時点でモンゴル独立をすでに認めており、憲法第4条で中華民国の領土とされる「固有の領域」にモンゴルは含まれないとの資料を発表した[56]。上記のように、中華民国は中国大陸(中華人民共和国の実効支配地域)、南チベット(アルナーチャル・プラデーシュ州)、江東六十四屯、パミールなどを自国の領土であると主張している。
外蒙古(モンゴル国、ロシアのトゥヴァ共和国)
清朝がロシア帝国に割譲させられた領土
江東六十四屯(ロシア領)
パミール高原(タジキスタン・パキスタン・アフガニスタン領に分かれている)
ブータンの東の一部
南チベット(インドのアルナーチャル・プラデーシュ州)
ミャンマー北部の地域
ミッチーナ以北の地域
フーコン渓谷(胡康河谷)
江心坡
南坎
2004年に中華人民共和国がロシアと確定させたアムール川の現国境線も認めていない。日本の主権下にある尖閣諸島に1969年、「青天白日旗」を掲揚し、付近海域の石油採掘権をアメリカ企業に与えた上に、1971年6月以降は中華人民共和国による同様の主張に対抗すべく、領有権を主張している。南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の全域となる十一段線、中華人民共和国の「九段線」いついて領有権も主張している。
建国当初の中華民国は中国大陸を領有する国家であり、1895年に日清間で締結された下関条約により、清朝から日本に割譲された台湾島一帯はその版図に含まれていなかった。しかし前述の通り、第二次世界大戦中の1943年に出されたカイロ宣言において同地域は中華民国に返還すべきであるとされている。
中華民国は、1945年の日本の敗戦により、台湾島一帯を「中国の一部」として実効支配下においた。その後、国共内戦の結果、中華民国は1955年までに台湾省(1945年成立)、福建省の一部以外の領地を全て喪失し、1912年の建国から一貫して統治している地は福建省の金門県と連江県の島嶼部のみとなっている。しかし「『中国』における唯一の正統政府」を自任する中華民国は大陸部の統治権の主張を放棄せず、中華民国政府が発行する官製地図『中華民国全図』には前記地域を中華民国国土として掲載してきた。しかし2004年1月、内政部は、実効支配地域外を含めた『中華民国全図』の新規発行を停止する決定を発表し、今後公式な国土範囲にも変化がある可能性が示唆されている。
沖縄県への認識「中国人による沖縄県への認識」も参照那覇空港行き便の行き先表示
中華民国では、沖縄県地域を「琉球」と称することがある。琉球王国がかつて明朝や清朝の冊封国であり、沖縄返還が中華民国政府との協議を経ずに進められたことを中華民国側は不満としていたともいわれるが、中華民国側は、沖縄県地域に対する日本の主権を否定していない[57]。しかし、例えば桃園国際空港の那覇空港行き便の行き先表示は「琉球」(英字表記は「Okinawa」)である。ちなみに香港国際空港から那覇空港行き便の行き先表示は「沖縄島」となっている。
行政区分1947年中華民国憲法制定の大陸地区を含めた中華民国の行政区画[56]詳細は「台湾の行政区分」を参照
概要中華民国台湾地区の行政区分台北市新北市基隆市桃園市新竹県新竹市苗栗県台中市彰化県澎湖県南投県雲林県嘉義県嘉義市台南市高雄市屏東県宜蘭県花蓮県台東県台湾省金門県連江県福建省
中華民国の行政区分は中華民国憲法第11章の条文によって規定されており、第一級行政区分として省や直轄市、蒙古盟旗[58]・西蔵の自治区域、及び海南特別行政区[注 8] が1949年時点で定められていた。
だが、この行政区分は中華民国政府が大陸地区を実効支配していた時代に規定されたため、国共内戦で中華民国の実効支配区域が台湾地区のみに狭められると、実際の行政実務(地方自治)との整合性が欠如した内容となってしまった[注 9]。そのため、中華民国政府は非効率な行政組織の改善を目的として、1997年の憲法増修条文第四次改正で省が持つ地方自治の権限を実質的に廃止し、省政府の機構を行政院の出先機関として中央政府に組み込んだ。