中華民国
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1949年12月7日、?介石率いる中華民国政府が、中国共産党に実効支配された中国大陸から、首都機能を台湾省台北市に移転して臨時首都としたことにより、台湾地区(台湾島及び附属島嶼や金馬地区など)のみを実効支配する国家として、1950年までに政府が再編成された。同時に動員戡乱時期臨時条款が制定され戒厳体制が発布された(党国体制)。

日本は、1951年サンフランシスコ講和条約および1952年日華平和条約において、台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は「未確定である」とする見解(台湾地位未定論)がある。
国連脱退

冷戦下の1971年に、中ソ対立の文脈の中で、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国代表権」が、アルバニア決議によって中華人民共和国に移されることとなり、抗議した中華民国は国連とその関連機関から脱退した。

1972年アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソン北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調し、日本はモンゴル人民共和国・中華人民共和国を承認して中華民国と断交。アメリカはその後、1979年、最終的に中華人民共和国を「中国の代表権を有する正統政府」として承認した。
民主共和制

美麗島事件をきっかけに、1987年に?介石の息子で総統職を世襲した?経国が戒厳を解除。続いて李登輝政権下の1996年に、国民党一党独裁党国体制)による寡頭共和制は終わり、複数政党制半大統領制を主体とした民主共和制に変わった(総統民選期の中華民国)。

その経済貿易規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、イギリスフランスなどをはじめとする主要国とは国交こそないものの、形式上非政府組織の窓口機関を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。世界貿易機関 (WTO) のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。

21世紀初頭では、大統領制の議会制民主主義を主体とした民主共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島および福建省沿岸の金門島馬祖島金馬地区)、南シナ海東沙諸島および南沙諸島太平島を実効支配している。
アメリカとの同盟成立、中台関係の回復

アメリカ合衆国は、第二次世界大戦勃発以来、中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた(台湾海峡危機)場合は、台湾関係法に基づき、あらゆる行動を取ることになっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍(中国共産党軍)が、選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為「第三次台湾海峡危機」が起きた際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡空母打撃群を派遣し、アメリカ合衆国国務長官ウォーレン・クリストファー国務長官は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。

2008年3月に行われた総統選挙の際も、台湾近海に空母2隻が派遣された。その総統選挙で当選した馬英九は、2010年に中華人民共和国と自由貿易協定として両岸経済協力枠組協議を締結、事実上の経済同盟を発足させるなど、2010年代から中台関係は回復する方向に進んだ。2014年3月18日から4月10日にかけて中華人民共和国とのサービス貿易協定の署名を阻むために学生と市民の一部が日本の国会議事堂に当たる立法院議事堂を占拠する事件を起こした。これを「ひまわり学生運動(太陽花学生運動)」といい、中華民国の社会運動への端緒にも当たる。
国号「台湾の名称の一覧」も参照

中国語中華民国国語繁体字表記)での正式名称は、中華民國(.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Zh?nghua Minguo、ウェード式:Chung-hua Min-kuo、注音符号:??? ???? ????????)であり、国内では中華と表記することもある。公式の英語表記は、英語: Republic of China(リパブリック・オブ・チャイナ)で、略称はR.O.C.である。

中華」は、世界の中心にある最も華やかな文明、の意で元来は黄河文明発祥の地とされる河南省辺りを指した。「華」は世界の中心の(古代の王朝)を意味する「夏」であった[6]

「中華民国」という国号は、1905年東京で開かれた中国同盟会の設立大会で孫文によって初めて提案され[7]、1912年1月1日の中華民国臨時政府の樹立時に正式に国号に採用された[8]
国名表記をめぐる諸問題

国名表記の「中華民国」は、中華民国政府による「一つの中国(China)を代表する主権国家」の認識に基づく。1971年に国際連合のアルバニア決議中華人民共和国が「全中国を代表する主権国家」として承認されて以降、国際連合機関での「中華民国」(Republic of China)の表記の使用事例がなくなり、1984年サラエボオリンピック以後のオリンピックなどのスポーツ大会や国際機関は、Chinese Taipei(チャイニーズタイペイ、中華台北)を用いている。国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を「全中国を代表する主権国家」として承認せずに台湾地域を実効支配する中華民国政府と非公式関係を維持する、現状を認める名称である。世界貿易機関 (WTO) に「台湾・澎湖・金門・馬祖独立関税地域」(Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu)の名称で加盟し、Chinese Taipei とともに中華民国を表す名称として使用されている。

中華民国の国名や Chinese Taipei の名称について、20世紀末以降おもに台湾地域で反発が生じ、李登輝元総統(任期:1988年 - 2000年)をはじめとする泛緑派は、国号を中華民国から「台灣」(臺灣)へ改称することを推進する台湾正名運動を興している。「中国の政党」を自任する中国国民党を始めとした泛藍派は国号変更に反対し、国論を二分している。中華民国の民衆の国に対する意識も1990年代から変化し始めていると喧伝される。


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