中華民国
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1924年には中国共産党との間で第一次国共合作を行ったが、1927年南京事件が起こったことで同年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった?介石の指揮下で上海武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。

国民政府はその後、?介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘らの「武漢国民政府」に分裂(寧漢分裂)するが、間もなく両者は合流、北方軍閥の張作霖日本軍によって爆殺された後、跡を継いだ息子の張学良は?介石の傘下に入り、満洲東北部)は国民政府の支配下に入った(易幟)。
日中戦争

その後、満洲事変を契機に日本の後援により、愛新覚羅溥儀を執政として満洲国が建国された。さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った(ただし宣戦布告はどちらからもされておらず、昭和天皇詔勅もなかったので正式な戦争ではなく支那事変と呼んだ)。

これに対抗して日本軍は、国民党の反?介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を南京に樹立する。その後、西安事件で第二次国共合作が成立した。1941年12月に日本とイギリスアメリカ合衆国などとの間で太平洋戦争が始まり、英米と友好関係にある中華民国は連合国の主要国として枢軸国と対峙。日本に宣戦布告した事で、第二次世界大戦の一部として日中戦争が開戦された。
中華民国の台湾進出

1945年9月2日日本の降伏文書調印により、中華民国は第二次世界大戦での勝利が決定した。主要戦勝国の一国として国際連合の設立メンバーとなり、GHQからの委託に基づき、1945年10月15日台湾に進駐した。

1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は台湾光復の式典を行って台湾省を設置し、台湾の実効支配を開始した。日本が台湾などを中華民国へ「返還」することは1943年12月1日カイロ宣言に謳われているが(現在の中華民国外交部は一貫してこの宣言を受け入れている)、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾地域は依然として日本の領土であった。台湾光復後の1947年2月28日二・二八事件が発生した。

1945年10月にアメリカの調停で結ばれた双十協定は破綻し、1946年6月から本格化した国共内戦ではアメリカからの支援が打ち切られたことなどが災いして、ソ連が支援する中国共産党に対して劣勢に陥り、1949年初めには中華民国の実効支配地域が縮小し、同年1月に?介石総統は内戦不利の責任をとって辞任して副総統だった李宗仁が総統(代理)となるも中国共産党との北平和談(中国語版)で最終案の国内和平協定に署名しなかったため、1949年10月1日には中国共産党が中華人民共和国を樹立した。
台湾への移転?介石と妻の宋美齢中華民国政府の台湾への移転」および「中国国民党による一党独裁時代の台湾」も参照

1949年12月7日、?介石率いる中華民国政府が、中国共産党に実効支配された中国大陸から、首都機能を台湾省台北市に移転して臨時首都としたことにより、台湾地区(台湾島及び附属島嶼や金馬地区など)のみを実効支配する国家として、1950年までに政府が再編成された。同時に動員戡乱時期臨時条款が制定され戒厳体制が発布された(党国体制)。

日本は、1951年サンフランシスコ講和条約および1952年日華平和条約において、台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は「未確定である」とする見解(台湾地位未定論)がある。
国連脱退

冷戦下の1971年に、中ソ対立の文脈の中で、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国代表権」が、アルバニア決議によって中華人民共和国に移されることとなり、抗議した中華民国は国連とその関連機関から脱退した。

1972年アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソン北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調し、日本はモンゴル人民共和国・中華人民共和国を承認して中華民国と断交。アメリカはその後、1979年、最終的に中華人民共和国を「中国の代表権を有する正統政府」として承認した。
民主共和制

美麗島事件をきっかけに、1987年に?介石の息子で総統職を世襲した?経国が戒厳を解除。続いて李登輝政権下の1996年に、国民党一党独裁党国体制)による寡頭共和制は終わり、複数政党制半大統領制を主体とした民主共和制に変わった(総統民選期の中華民国)。

その経済貿易規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、イギリスフランスなどをはじめとする主要国とは国交こそないものの、形式上非政府組織の窓口機関を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。世界貿易機関 (WTO) のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。

21世紀初頭では、大統領制の議会制民主主義を主体とした民主共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島および福建省沿岸の金門島馬祖島金馬地区)、南シナ海東沙諸島および南沙諸島太平島を実効支配している。
アメリカとの同盟成立、中台関係の回復

アメリカ合衆国は、第二次世界大戦勃発以来、中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた(台湾海峡危機)場合は、台湾関係法に基づき、あらゆる行動を取ることになっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍(中国共産党軍)が、選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為「第三次台湾海峡危機」が起きた際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡空母打撃群を派遣し、アメリカ合衆国国務長官ウォーレン・クリストファー国務長官は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。


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