中華民国臨時政府_(1912年-1913年)
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3月20日には黎元洪を副総統に選出、4月1日に孫文は正式に臨時大総統を辞任した[12]

1913年10月6日の大総統選挙で第1回国会は袁世凱を中華民国の正式な初代大総統に選出し、10月7日には黎元洪を正式な初代副総統に選出した。

以下は、北京臨時政府の主要人員である[12]

臨時大総統:袁世凱(1912年2月15日選出、3月10日就任)

臨時副総統:黎元洪(1912年2月20日選出)

事務局:

総統府秘書長:梁士詒(1912年3月10日就任)


国務員

「中華民国臨時約法」の第43条は「国務総理及び各部の総長は、国務員と称する」と規定している。また、第44条では「国務員は大総統の職務を補佐する責任がある」とされている。

南京臨時政府内閣(中国語版)の終了後、北京臨時政府時代には唐紹儀内閣(1912年3月13日-6月27日)、陸徴祥内閣(6月29日-9月22日)、趙秉鈞内閣(9月30日-1913年7月19日)、段祺瑞臨時内閣(1913年7月19日-7月31日)、熊希齢内閣(7月31日-1914年2月12日)が相次いで発足した。 歴代内閣の国務総理と各部の総長もすべて国務員とされた。
臨時政府内閣

南京臨時政府内閣は1912年1月3日に成立し、4月1日に北京臨時政府の唐紹儀が初代国務総理に就任・組閣したことにより終了した。1月3日、各省都督府代表連合会の代表は、内閣官僚の人員を採択した[12]。閣僚がまだ南京に到着していなかったが、1月21日、孫文は南京で臨時政府の第1回閣議を開いた。

南京臨時政府には首相は存在せず、臨時大総統の孫文が行政の長を兼ねた。

部総長次長備考
陸軍部黄興?作賓
海軍部黄鍾瑛湯?銘
内務部程徳全居正2月1日、程徳全が病気のため辞任し、居正が総長に就任。
外交部王寵恵魏宸組
司法部伍廷芳?志伊
教育部蔡元培景耀月
財政部陳錦濤王鴻猷
交通部湯寿潜于右任
実業部張謇馬君武
参謀本部黄興鈕永建

法院

1912年5月、袁世凱臨時大総統は以下のような臨時総統令を発布した。「司法総長の王寵恵は、大理院正卿の劉若曽の辞職が承認されたことを報告した。 裁判を中断することはできないが 、大理院正卿、少卿などの現状の役職名は中華民国の制度に相応しくない。 法院編制法の改正と公布には時間がかかるため、新法が施行されるまでの間は、名称を変更するのみで当分の間は現状の組織を維持し、裁判を継続できるようにすることが望ましい。 大理院正卿は大理院院長と改称し、少卿職は廃止する。その他の組織は当分は従来通りであり、法院編制法が改正され次第変更するものとする[15]

1912年12月、中央司法会は「法院編制法草案」を公布した。これは清朝時代の「法院編制法」の表題を変更しただけのものであったが、この草案は施行されず、実際には依然として清朝の『法院編制法』が施行され続けていた[16]

1913年2月21日、司法部は各省に法院の改組を命じ、高等審判庁を各省の中心都市に、地方審判庁を地級行政区と開港場に、初級審判庁を県級地方に設置させた[17]。1914年の初めまでに国内には1つの大理院、120の高等審判庁と地方審判庁、179の初級審判庁が設置され、合計900以上の県に法院と検査院が設置された[18]
出典^ a b 中華民國史. 國史館. ⇒オリジナルの2015-09-23時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150923220540/http://www.drnh.gov.tw/Content_Display.aspx?MenuKey=45 2022年2月10日閲覧。 
^ 廖大偉 (1998). “各省都督府代表?合会述?”. 史林 (3). 
^ 程徳全《斯人不出如?生何》, 《神州日?》1911年11月16日
^ 《掃穴擒犁之大規劃》, 上海:《申報》,1911年11月23日
^ 《接??》, 《民立?》1911年11月19日, p.2
^ 《中國光復史》, 上海:《申報》, 1911年11月29日。
^ 《都督府電書一束》, 上海:《申報》, 1911年12月1日
^ 李良 (2012). “《各省都督府代表会与??大????》”. 《中国国家博物??刊》 (07期). 
^ a b c 呉景濂 (1913). 組織臨時政府各省代?會紀事 
^ 劉?翰 (2008). 國民黨軍事制度史. 北京: 中国大百科全書出版社 
^ 谷?娟; 袁香甫 (2012). 中?民国国会史. 中華書局 
^ a b c d e ?寿林等?,《民国?官年表》, 北京:中華書局, 1995年
^ ??.《?中山研究?文集》, 1949-1984(上), 成都;四川人民出版社, 1986年, p.266
^ 蔡?藩.   (英語) 民國演義, (1921), ウィキソースより閲覧。 
^ 袁世凱.《臨時大総統令》.《政府公報》. 1912年5月18日
^ 中華民国司法部. 《司法例規(上册)》. 1915年, p.16-30
^ ?生. 《民初大理院?判独立的制度与?践》.《政法??》. 2002年, (04期)
^ 王?惠. 《二十五年来中国之司法》.《中?法学》. 1984年, 第1巻第1号

関連項目

辛亥革命



中華民国 (1912年-1949年)

北京政府

中国同盟会

北洋軍閥

先代
中華民国臨時政府
1912年 - 1913年次代
北京政府










中華民国政権
中華民国軍政府(1911年?1912年)

中華民国軍政府鄂軍都督府

中華民国臨時政府(1912年?1913年)

中華民国臨時政府

北洋政府(北京政府、1913年?1928年)

中華民国政府(1913年?1915年;1916年?1924年;1926年?1927年)

中華民国臨時政府(1924年?1926年)

中華民国軍政府(安国軍政府、1927年?1928年)

護国軍政府(1915年?1916年)


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