中華民国憲法
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そこで、1991年4月30日、李登輝総統は「動員戡乱時期臨時条款」の廃止を宣言し、翌5月1日より廃止した[9]。これに合わせて同日「中華民国憲法増修条文」10か条を公布した[10]。この憲法修正は、「一機関両段階」と呼ばれる方式によって行われた。憲法修正手続きを定めた憲法第174条には、国民大会代表の5分の1以上の提案を受け、3分の2が出席し、出席者の4分の3の決議がある場合、又は立法院の提案を受け国民大会が承認した場合に修正できることになっている[9]。しかし当時の国民大会代表は、中国大陸時代に選出されたまま40年間改選されていない万年議員であり、台湾を対象とする民意代表機関とはいえない[9]。そこで第一段階として手続き面での改正を行い、その後第二段階として国民大会代表について民意を代表する機関に改めたうえで実質的な修正を行う必要があった[9]

1991年4月の憲法修正後、12月には国民大会代表選挙が行われ、民意を代表する形が整えられた[10]。そして1992年5月27日に実質的憲法修正を終え、第2段階に当たる憲法増修条文第11条から第18条がまとめられ、国民大会の手続きを経て、1994年8月1日に公布された[10]。国民大会の地位、総統の職権と選挙方法、司法院、考試院、監察院、地方自治など、大中華民国を前提とする憲法を台湾のみ支配しているという実態に適応させる修正であるが、憲法の条文そのものを改正したのではない。憲法の既存の規定の適用を停止して、修正条文の適用を優先させた[10]。以下は、中華民国憲法の改正の歴史についての一覧である[11]

改正
次数年度内容
第1次1991年「動員戡乱時期臨時条款」の廃止。人権条項の実効性の確保。総統の緊急命令権を規定するなど総統権限を強化。
第2次1992年司法院、考試院、監察院の規定を整備。民選による台湾省長を置くことを規定。
第3次1994年総統直接選挙制の導入。総統の人事任命権に対する行政院長の副署制度の廃止。
第4次1997年総統の行政院長任命権の整備。立法院解散権の整備。中小企業支援条項の整備。台湾省の廃止(台湾省の範囲は、中華民国全体の支配地域と実質的に重複しており、省としては形骸化していたため、これを廃止した)
第5次1999年立法委員任期の延長を図った。(ただし、この改正については2000年3月に司法院大法官会議が採決手続きの不備を理由に無効と宣言した。)
第6次2000年司法権の独立規定を導入
第7次2005年総統、副総統の弾劾手続。憲法改正の際の国民投票手続きの導入。立法委員の定数、任期、選出方法の変更。国民大会の廃止。

これらの改正により「台湾式半大統領制」と言われる統治体制が確立されるとともに、中華民国憲法の実質的台湾化が図られたとも言える[12]
中華民国憲法の特色現行憲法による政府機構図

第1条で国体を三民主義に基づく民主共和国と定め、第2条で主権は国民全体にあると定める[13]。第2章では人民の権利義務を定め、第3章から第12章で、国家機構および選挙などについて定める[13]。全国国民を代表して「政権」を行使するのが国民大会であり、総統・副総統の選挙・罷免や憲法改正などを担う(第25条・第27条)。そのもとに、元首として規定されている「総統」(第35条)、および行政権を担う「行政院」、立法権を担う「立法院」、司法権を担う「司法院」、公務員や専門家の資格についての試験や任用を担う「考試院」、監察を行う「監察院」という五権を担う「五院」が置かれている[13]。国民大会が置かれていた点では典型的な権力分立ではなかったが、国民大会の権限は限られていたので、基本的には権力分立型の憲法といえる[13]。権力分立、国民主権、男女平等を含む人権規定等から見れば、20世紀型の憲法ということができる[14]
統治機構の各制度
立法制度

本「中華民国憲法」下において、立法権は中央政府の立法院と地方の議会にそれぞれ垂直分立されている[15]。中央政府の立法院は、人民を代表して立法権を行使し、憲法改正案や領土変更案の審議権と提出権、緊急命令の追認権、首長任命の同意権、総統や副総統の罷免案や弾劾案の提出権、行政院長に対する不信任案の提出権、および法律案、予算案、戒厳案、赦免案、宣戦案、講和案、条約案ならびにその他の重要事項を議決する権限を持っている[15]
司法制度

中央政府の司法院は、台湾の最高司法機関であり、民事訴訟、刑事訴訟ならびに行政訴訟の審判および公務員懲戒の審理を司どり、かつ憲法解釈と法令の統一解釈の権限をもち、また憲法法廷を組織し総統や副総統の弾劾案および違憲政党の解散案を審理する[16]
出典[脚注の使い方]^ a b アジア憲法集(2007年)972ページ
^ a b c d e 後藤(2009年)89ページ
^ a b c d e f g h 後藤(2009年)90ページ
^ a b 高見澤(2010年)69ページ
^ a b 後藤(2009年)91ページ
^ a b c d e 後藤(2009年)92ページ
^ 遠藤(2014年)44ページ
^ a b 簡(2009年)77ページ
^ a b c d e f g 後藤(2009年)108ページ
^ a b c d 後藤(2009年)109ページ
^ 國分(2010年)9ページ
^ 國分(2010年)10ページ
^ a b c d 高見澤(2010年)50ページ
^ 高見澤(2010年)51ページ
^ a b 簡(2009年)78ページ
^ 簡(2009年)79ページ

参考文献

荻野芳夫他編『アジア憲法集(第2版)』(2007年)明石書店(第25章「台湾」)


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