袁の弱体ぶりと不評ぶりを見て、列強は戦争面以外の支持を取りやめた。日本はまず侵攻すると言って脅迫してから、袁世凱を倒すことに傾倒し、闘争の双方が戦争状態であると承認して日本の民間人が革命派を援助することを容認した。内外の反対に直面した袁は政敵に譲歩して即位式を再三延期し、3月1日には式典のための予算も削減された。袁は3月17日に梁士詒と帝政取り消しについて審議して3月22日に取り消しを声明した。年号「洪憲」は3月23日に廃止され、民国紀元が復活した。袁は通算83日間皇帝として君臨した。 6月6日の袁の死後、副総統黎元洪が大総統に就任し、北洋軍閥安徽派の首領段祺瑞を国務総理に任命して国会と臨時約法を復活し、国内統一を図るが 府院の争いで対立した[2]。中央政府としての北京政府の権威は大きく失墜し、袁の帝政の終焉によって中国は軍閥による割拠時代に突入した。1917年の張勲復辟の後、馮国璋が総統となると段は国会を解散し、新国会を設置しようとした。張勲復辟事件の際に日本軍は北京に増援した[2]。
その後
国家の象徴(中国語版
国旗は元の五色旗から、少数民族の満州族の黄、モンゴル族の青、ウイグル族の白、チベット族の黒の上に、これらを支配する漢族の赤を左右対称の十字で描いて強調したものに改められた。しかしながら、実際にはX形十字版の旗が一般的に使用された。
受爵者一覧
武義親王
黎元洪
一等公
竜済光
張勲
馮国璋
姜桂題
段芝貴
倪嗣沖
劉冠雄
一等侯
湯?銘
李純
朱瑞
陸栄廷
趙?
陳儀
唐継尭
閻錫山
王占元
一等伯
張錫鑾
朱家宝
張鳴岐
田文烈
?雲鵬
楊増新
陸建章
孟恩遠
屈映光
斉耀琳
曹?
楊善徳
一等子
朱慶瀾
張広建
李厚基
劉顕世
一等男
許世英
戚揚
任可澄
王揖唐
何宗蓮
張懐芝
竜覲光
陳炳焜
盧永祥
呂調元
金永
蔡儒楷
段書雲
龍建章
沈金鑑
潘矩楹
三等男
馮玉祥
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 彼の皇帝即位への願望を示すエピソードはふんだんに残されているという。
出典^ a b 天児慧『巨龍の胎動 毛沢東VSケ小平』〈中国の歴史11〉講談社、2004年11月10日、ISBN 4-06-274061-3、58頁。