中華人民共和国
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その後も中華民国と国交を結ぶ国に対して様々な圧力をかけることで中華人民共和国との国交、中華民国との断交を促し、中華民国を孤立化させる外交を推進している[38][39][40]

現在の中華人民共和国は多数の公式及び非公式の多国間機構に加盟しており、WTOAPECBRICs上海協力機構、BCIM、G20がこれに該当する。中華人民共和国はアジアの地域大国であり、多数の解説者により潜在的な超大国として特徴付けられてきた[41][42]。しかし習近平体制になってから「戦狼外交」と呼ばれる好戦的で強硬な外交姿勢を強めており、国際社会との摩擦が目立ってきている[43][44]。また香港問題やウイグル問題などの人権問題をめぐる国際的批判が強まっている。
軍事

1964年10月に最初の核実験を実施しており、核拡散防止条約により核兵器の保有を認められた5つの公式核保有国の1つとなった[9]21世紀以降は急速な軍拡が行われ、アジアでは最大の、世界ではアメリカ合衆国に次ぐ軍事支出を行う軍事大国となっている[45]。その軍隊である中国人民解放軍の兵力は200万人を超えると見られており[46]、世界最大人数の常備軍である。
民族と宗教

人口は世界第2位の約14億人であり、うち92%以上を漢族が占める。他にモンゴル族チベット族ウイグル族朝鮮族満洲族回族チワン族ミャオ族ヤオ族など55の少数民族が存在する[9][47]。言語は漢語が大部分を占め、北京語を元にした中国語の普通話が共通語であるが[9]、各地域では数多くの方言と少数民族の言語が併用されている[48]

宗教はイスラム教キリスト教チベット仏教などが少数存在している。
地理

公式には23の[注釈 5]、5つの自治区、4つの直轄市と2つの特別行政区から構成され、総面積は約960万平方キロメートルで世界第3位ロシア連邦と並び世界で最も隣国が多い国(14か国)である[49]

計測方法によるが外務省によれば陸地面積では世界第4位とされ[50]総面積では世界第3位又は4位である(詳細は国の面積順リストに参照のこと)。同国の地形は、乾燥した北の森林ステップ、ゴビ砂漠タクラマカン砂漠から、多湿な南の亜熱帯の森林まで広大かつ多様である。ヒマラヤ山脈カラコルム山脈パミール高原天山山脈により、同国は及び中央アジアから切り離されている。長さ世界第3位長江及び同世界第6位黄河は、チベット高原から人口密度の高い東の沿岸地域に流れ、古代には黄河文明長江文明を興してきた。同国の太平洋に沿った海岸線は1万4500キロメートルの長さで、渤海黄海東シナ海南シナ海に囲まれている。同国の国土は、22省級行政区、5自治区、北京市・天津市上海市重慶市の4直轄市、大部分が自治的な香港マカオの2特別行政区によって構成されている。なお2017年7月現在、中華人民共和国の世界遺産イタリアについで56件ある。国内には文化遺産が38件、自然遺産が14件、複合遺産が4件存在する。
国名

現在の公式国名は中華人民共和国 (簡体字中国語: 中?人民共和国; .mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Zh?nghua Renmin Gongheguo)  発音[ヘルプ/ファイル]である。一般には中国 (簡体字中国語: 中国; ?音: Zh?ngguo) 、あるいは中華 (簡体字中国語: 中?; ?音: Zh?nghua) と呼称される。

「中国」という言葉は、紀元前6世紀書経詩経で既に記述されており、中華帝国以前の時代には華夏族四夷と区別するため、文化的概念として頻繁に用いられた。その後、中華帝国の変遷と共に様々な古文書で用いられる「中国」の意味も変化して行ったが、近代的な主権国家全体の名称として用いられるようになったは19世紀半ばからである(詳細は「中国」の項目参照のこと)。

中国と同義で用いられる支那は、帝国主義のイメージと結びついて中華人民共和国では侮蔑的な呼称と認識されているが、その原型が古くから印欧語族の諸国で用いられてきたために派生形が多く残っている。たとえば英名の"China"は、サンスクリット語のC?na (???) を由来とするペルシア語のCh?n (???)が由来と考えられる[51]。"China"という言葉は、ポルトガルの探検家Duarte Barbosaの日誌において1516年に初めて記録された[52]。1555年、同日誌はイングランドにおいて翻訳及び出版された[53]。17世紀にマルティノ・マルティニにより提唱された伝統的理論では、C?naはにおいて中国最西の国である"Qin" () が由来である[54]。また、C?naはマハーバーラタ (紀元前5世紀) 及びマヌ法典 (紀元前2世紀) を含む初期のヒンドゥー教の聖典において用いられていた[55][56]

「中国」の国名を巡っては、中華人民共和国の前に中国大陸を統治した中華民国との間で軋轢がある。


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