中立国
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スイス軍の様に強力な国防政策を採る場合もある(武装中立)。

スイスでは憲法に軍隊保持と国民皆兵制を規定(58条、89条)しており、2013年に市民運動団体によるスイス軍軍隊廃止に関する国民投票が実施された際も73%の多数で否決され、徴兵制の存続が決まった[19][20]

また、国連における平和維持活動への兵力派遣は、中立義務違反とは見なされない[21]。オーストリアは1965年の憲法改正以降、コンゴ動乱国際連合キプロス平和維持軍に軍を派遣しており[22]、1968年には国連の要請に対して即時に対応するために国連待機軍(ドイツ語版)を設置している[23]。またスイスも2002年の国連加盟の前からPKOに参加しており、1993年には待機軍を組織している[23]。これはPKOにおける派遣が非強制的な性格のものであり、公平性を義務づけられていたために、中立の義務と反しないという考えによるものである[24]

また、他国間の紛争を抑止することは中立国自体の利益となるとも考えられてきた[24]。平和維持活動で、自衛の他の軍事力を執行することについては中立義務違反であるという解釈が一般的であったが、冷戦終結後には変化が生じている。平和維持活動による平和強制のための軍事行動は、法の執行であり中立義務違反ではないという解釈である。この解釈は有力になり、スイスおよびオーストリアの政府も同じ見解を表明している[25]
保障国の立場

中立国は、中立条約締結国によって中立の法的地位を保障されるのを原則としている。故に中立保障国は中立国の独立と領土の保全を尊重し、その独立が第三国によって侵犯されたならば、武力をもってこれを排除する義務を負う。このため、 1955年のオーストリアの永世中立国化によって、オーストリアはスイスの保障国から離脱したという事例もある[21]

一方でオーストリアの永世中立化に当たっては、国際条約を交わすという形式を取らず、交換公文によって行われたが、これらの国はオーストリアの中立を尊重するとしたものの、保障は行わなかった[26]。中立を保障したのは、オーストリアとソ連の間で交わされたモスクワ覚書によるものである[27]

また、保障国は中立国の憲法改正など、内政干渉する権利は持たない[3]。しかしクラクフ共和国が大量の亡命者によって政府転覆された(クラクフ蜂起)際には、亡命者の受け入れを禁じた事前協定に反するとして、保障三国(プロイセン王国オーストリア=ハンガリー帝国ロシア帝国)による軍事占領が行われた事例もある[3]
永世中立国一覧
周辺国等の承認

周辺国等の承認により成立している諸国。

スイス - 1815年に宣言。ウィーン会議にてフランスプロイセンロシアイギリスなどから永世中立が保証される。

 オーストリア - 1955年に宣言、主要国との交換公文により成立[26]。ただし、欧州連合に加盟していることから永世中立は形骸化しているという指摘もある。

トルクメニスタン - 1995年に宣言。国連総会にて承認される。

宣言のみ

以下の国は永世中立を宣言しているに留まる。

ラオス - ジュネーブ14カ国会議において中立化が決議され、1963年にラオス王国政府が宣言[28][29]。ただし、宣言時点ではまだアメリカ軍が駐屯しており、ベトナム戦争ではベトナム民主共和国ホーチミン・ルートを提供したり、1975年までラオス内戦が続いた。その後はタイ王国との国境紛争が頻発している。

カンボジア - 1992年憲法により規定。53条ではあらゆる軍事的同盟および軍事協定に加盟しないことが規定されている[30]

モルドバ - 1994年憲法により規定。

リヒテンシュタイン - 1867年から

コスタリカ - 1983年大統領ルイス・アルベルト・モンヘが『コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言』において表明。ただし、コスタリカは依然として加盟国間の集団安全保障を規定した米州相互援助条約に加盟しており、また2004年にはイラク戦争において有志連合諸国を支援することを表明している[31]

かつての永世中立国
ベルギーとルクセンブルク

列強が独立を承認したベルギールクセンブルクロンドン条約により、永世中立が定められた[32][33]。しかし両国とも、第一次世界大戦ではドイツ帝国の侵攻を受けた。ベルギーは国土の大半を占領されながらも抵抗し、非武装であったルクセンブルクは、全土が占領された[33]。その後、1920年に発効したヴェルサイユ条約で、永世中立義務は解除された。

ベルギーはその後、連合国の一員としてロカルノ条約等に参加したが、ロカルノ体制崩壊後は中立に回帰した[34]。ルクセンブルクは国際連盟によってロンドン条約は有効であるため永世中立国であると再認定され[35]、非武装中立政策を継続していたが、両国とも1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、国土は占領された[33]

ベルギーは、第二次世界大戦後に中立政策を放棄している[33]。一方でルクセンブルクは、1948年NATO加盟と憲法改正により、事実上中立政策を放棄した。ただし憲法上では、中立政策を採ると規定している[33]
その他過去の永世中立国

クラクフ共和国[7] - クラクフ蜂起の後、保障国の一つであったオーストリア帝国によって事実上併合された(クラクフ大公国)。


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