中目黒
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一方、山手通り沿いには中層のマンションや雑居ビルが並ぶが、それらの建物には人気飲食店や芸能事務所の入居なども見られる。

山手通りから離れると、諏訪山と呼ばれる台地があり、住宅地となっている。その麓の元は水田で、のちに中小工場地帯となった地域には、中流サラリーマンや一人暮らしのOLが住むようなマンションが多い。また、もともと軍用地だった東山一帯は官舎、団地が多い。賃貸住宅の家賃は、区内の他地区に比べ若干高い。

防衛庁(当時)移転計画に基づき港区六本木檜町駐屯地にあった防衛庁本庁舎が市ヶ谷駐屯地に移転するあおりを受け、統合幕僚学校および陸海空幹部学校目黒基地へ移駐。

山手通りに沿ってほぼ北側に東に向って目黒川が流れている。川沿い、特に中目黒から池尻大橋駅にかけてには桜並木が整備されており、の季節には多くの人で賑わう。近年、川沿いにはカフェ・ファッション・雑貨などの店が増加している。店は比較的小規模ながら、オーナーや店長が若く野心的であり、個性的な店が多かったが、代官山からの回遊性のために、近年は代官山と似た傾向になりつつある。店舗となる物件の少なさ故、家賃が高騰し、徐々に体力のある企業による出店が増えている。

駅前では蛇崩川が目黒川とほぼ直角に合流する。蛇崩川は暗渠になっており川は見えない。合流地点は広場となっている。

もともと、タケノコの一大産地だった碑文谷地区とともに都市近郊農村で、代官山(青葉台)を流れていた三田用水や目黒川での水車による精米製粉業、染色業、その後、三田用水を工業用水とする硝煙製造、ビール製造(のちのヱビスビール)などを手初めに中小工業地帯となった。その後、現東急電鉄による住宅地としてのブランド戦略が功を奏し、人気の高い住宅地として開発され現在に至る。

ダイエー1964年に東京に初出店した際の3店舗のうちの一つが中目黒店で、現在の駒沢通りと山手通りの交差点の北側に立地していた。
出身・ゆかりのある人物

近藤重蔵(北方探検家)

広部清兵衛(広部銀行頭取)- 住所が中目黒八幡[8]

脚注^ “区勢要覧 - 2.人口と世帯”. 目黒区 (2021年3月31日). 2021年4月14日閲覧。
^ a b “町丁別世帯数および人口表”. 目黒区 (2021年4月1日). 2021年4月14日閲覧。
^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年4月14日閲覧。
^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年4月14日閲覧。
^ “「なかめスタイル」の輪をひろげています 目黒区”. www.city.meguro.tokyo.jp. 2022年3月11日閲覧。
^ “区立学校学区域”. 目黒区 (2018年8月25日). 2021年4月14日閲覧。
^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
^ 『大正名家録』ヒの部10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月17日閲覧。

参考文献

原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。

外部リンク

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