中田鉄治
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こうした考えがあったせいか、1981年(昭和56年)に財政再建団体への転落目前まで財政が悪化して自治省(現・総務省)も緊縮財政への転換を強く指導していたにもかかわらず、1982年(昭和57年)12月に市議会議員の報酬を引き上げ、1983年(昭和58年)度に前年度比17%増の積極予算を組むなど逆に一段と積極財政を推し進めた[3]

そして、既に第三セクターや公営企業に金融機関から借り入れさせて市が債務保証することで市債発行の代わりとするような「ヤミ起債的行為」といえる公式の会計外の資金調達手法をこの頃から活用していた[3]。この結果、2001年(平成13年)には既に130億円台の実質的な赤字を抱え込むことになった[7]

こうした負債が膨張する要因ともなった観光事業を「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして推進した中田であるが[4]、観光を地域の主力産業にすることが元々の目的ではなく[3]、企画室長だった1970年(昭和45年)に「石炭産業に未来はない」と打ち出して新産業の招致を進めた際に[3]、招致した相手の企業が街を視察して「こんな汚いまちに従業員を住ませられない」と断られる例が相次いだことから[3]、観光客が集まるほどの魅力的な街づくりを行って長い目で見て企業を招致する戦略として始めたものだったとされている[3]

夕張の主要産業だった炭鉱の閉山後、「分不相応の投資をしなければ、夕張市は再生しない」とし、観光振興を目当てに、下記のようなテーマパーク「石炭の歴史村」の各施設の建設や[4]ゆうばり国際ファンタスティック映画祭[3]に代表されるイベントを連発した。

1980年(昭和55年) - 夕張市石炭博物館、約14億8300万円

1983年(昭和58年) - 石炭の歴史村(遊園地)、約55億円[4]

1985年(昭和60年) - めろん城[8]、約6億5000万円

1988年(昭和63年) - ロボット大科学館、約8億5000万円

2002年(平成14年) - マウントレースイスキーリゾート、約26億円(松下興産から買収)[7]

しかし、これらの観光振興政策は粗雑な計画で、かつての石炭ほどの利益をもたらすはずもなく、人口流出と併せて、かえって夕張の財政を致命的に圧迫させるだけの結果に終わった。

2003年4月、夕張市長を退任。同年9月10日13時8分、肝細胞癌のため死去、77歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、従五位に叙される[9]

3年後の2006年(平成18年)6月20日に後任の後藤健二市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市の財政が破綻した[10]
芸能分野への関与

北海道でロケが行われた『西部警察 PART-III』の最終回に医師役で出演した。その4年後、やはり夕張市が舞台となった特撮番組『仮面ライダーBLACK』の37話「想い出は夕張の空」(1988年6月26日放送)、ならびに同作品の劇場公開用映画『仮面ライダーBLACK 恐怖!悪魔峠の怪人館』(1988年7月9日公開)では夕張市長役で特別出演した。この映画には石炭の歴史村やロボット大科学館なども登場している。

1985年発表の楽曲『めろん酒』の作詞を担当。

映画『北の零年』が制作されたのは夕張を利用した作品を作って欲しいと考えた中田の一助があり、ロケの拠点は夕張に置かれた[11][12]
脚注^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、17頁。
^ a b ““波瀾万丈の日々”に別れ 6期24年 中田鉄治夕張市長が退任”. 北海道新聞 (北海道新聞社). 2003年4月26日
^ a b c d e f g h i j k 斉川誠太郎(2006年8月30日). “夕張よ 盛衰の軌跡 2 前市長の夢 まち再生へ らつ腕発揮”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
^ a b c d e f g 横井正浩(2006年8月29日). “夕張よ 盛衰の軌跡 1 炭鉱から観光へ 「積極路線」が病巣に”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
^ “北炭夕張新鉱事故 重苦しい待機”. 北海道新聞 (北海道新聞社). 1981年10月17日
^ “北炭夕張鉱閉山”. 北海道新聞 (北海道新聞社). 1982年10月9日
^ a b 鈴木徹、高橋俊樹(2006年9月2日). “夕張よ 盛衰の軌跡 4 レースイ買収 壮大な夢 後始末で深手”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
^ ““夕張市農産物処理加工センター落成”. 北海道新聞 (北海道新聞社). 1985年6月22日
^ 『官報』第3709号8頁 平成15年10月10日号
^ “再建団体申請 夕張市長、きょう議会で表明 動き急、戸惑いに拍車 市民 「暮らし想像できぬ」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). 2006年6月20日
^ 「すべての夢はゼロから― 『北の零年』で新たな挑戦 映画部門の建て直しこそ会社経営の神髄 特別インタビュー 東映株式会社代表取締役社長・岡田裕介 (聞き手)竹入栄二郎・松崎輝夫」『映画時報』2004年11・12月号、映画時報社、4-16頁。 
^ 部谷京子「劇映画『北の零年』美術部開拓日記」『映画テレビ技術』2005年2月号、日本映画テレビ技術協会、16-24頁。 

参考文献

『21世紀へのメッセージ 北海道のトップ25人が語る新しい時代への提言』(毎日新聞社北海道支社、1991年9月)

鷲田小彌太『「夕張問題」』(祥伝社新書、2007年5月) ISBN 978-4-396-11070-3

公職
先代
吉田久 夕張市長
第10-15代:1979年 - 2003年次代
後藤健二










北海道夕張市長
官選

近田留四郎1943.5-1946.11

公選

北島光盛1947.4-1959.4

橘内末吉1959.5-1971.4

吉田久1971.5-1979.3

中田鉄治1979.4-2003.4.25

後藤健二2003.4.27-2007.4.26

藤倉肇2007.4.27-2011.4.16

鈴木直道2011.4.24-2019.2.28

厚谷司2019.4.21-

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