中村雅俊
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俳優活動はその後も順調で、映画では明朗な持ち味を買われて特に松竹での主演を多くつとめる。喜劇の名手と言われた前田陽一監督とは3回コンビを組んだ。

1985年に文学座を退団し、その後は俳優・歌手活動のみならずテレビ番組ラジオ番組の司会進行役を務めるなどマルチな才能を発揮している。

保険会社等が毎年発表する「理想の夫像・夫婦像」と題するアンケートでは常に上位にランクインし、幅広い層から支持を集めていることも証明される。年齢を重ねるに連れ理想の父親、祖父ランキングの上位にランクインすることも増えている。

パーソナリティを務めたTBSラジオ中村雅俊マイ・ホームページ』は、2009年4月3日の最終回までに12年半に亘り放送された。

1970年代1980年代1990年代2000年代2010年代と5年代の長きにわたり、映画と連続テレビドラマの両方で主役を演じた作品が製作もしくは配給されている(ただし、2014年に上映された映画『ふうけもん』は製作が 2008年)。なお2020年代も、映画とテレビドラマで主人公を取り巻く重要な役回りの登場人物を演じるなど、年齢を重ねながらも活躍の幅を広げている。

2009年4月4日、東京都杉並区の路上で乾燥大麻を所持していたとして長男の中村俊太警視庁高井戸警察署大麻取締法違反の現行犯逮捕された[8]。翌4月5日、父親である中村が記者会見を開き、自身が社長を務める所属事務所から俊太を解雇、芸能界から引退させると発表した[9][10]。その後、長男の中村俊太は反省している点を考慮され、起訴猶予処分となり釈放された[11]

東日本大震災で歌への思いも変化しており、「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います」と2017年のインタビューで述べている。

2021年7月1日に、これまで配信されていなかったオリジナル・アルバム3作、ライブ・アルバム4作の合計7作の音楽配信が同日から新たに開始され、2021年7月時点で発表済の中村のアルバム全34作が全て配信されることになった[12]
エピソード

文学座での下積みを殆ど経験せず、テレビ俳優として急激に知られるようになったため、文学座のベテラン座員の中には中村が文学座の座員であることを知らない者が多かった。入団して数年後に、幹部である
杉村春子に挨拶したところ「あなた文学座だったの?!」と驚かれたというエピソードがある。

大学時代から俳優として売れるまで工事現場、出前持ち、家庭教師、清掃、ホットドッグ店店員、デパートの屋上にあるビアガーデンのボーイ、ベルトコンベアに荷物を載せる力仕事、銀座三越での包装、茨城県土浦市では市役所でコピー取り等のアルバイトをしながら家賃1万円のアパートに住み、食事代節約のため友人宅で夕食を御馳走になっていた。その一方で、大学時代の4年間はサークル仲間との付き合いを優先し、毎夜のように酒を酌み交わしていたため、節約した生活費のほとんどが飲み代に消えた。無論貯金もできずにいたという[13]

『ふれあい』よりも前に製作された“幻のデビュー曲”が存在する。1973年に製作された『別れの劇』というタイトルの曲がそれだったが、各レコード会社への売り込みが全て不調に終わったことでボツになった。この曲は、作詞・作曲を手掛けたみなみらんぼう自ら、タイトルを『ウイスキーの小瓶』に変えて歌い、自らのデビュー曲として発売した。その後も中村はよく、この『ウイスキーの小瓶』を 田中健ら人前で「これが僕の幻のデビュー曲です」と言って歌ったことがあった[14]

われら青春!』の主役は松田優作で内定していたが、萩原健一の降板に伴って松田が『太陽にほえろ!』に出演することになったため主役の座が空き、1期先輩である松田と文学座のマネージャーが、両番組プロデューサーの岡田晋吉に中村を推薦したことにより、急遽出演が決まった[15][16]

支援ソングの発表やチャリティーライブの開催といった活動にとどまらず、同級生たちと地元・女川を復興させようという委員会を立ち上げ、今も月1回のペースで被災地に行き、復興支援活動を行っている[17]。2012年5月1日、日本財団により、伊勢谷友介EXILE加藤登紀子小林幸子コロッケ坂本龍一サンドウィッチマン杉良太郎伍代夏子はるな愛とともに「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され表彰されている[18]

2009年1月17日公開予定だった映画『ふうけもん』は2008年12月15日、東映は製作者側の諸事情により公開中止を発表した。製作元・J&K INTERNATIONALの資金難が原因であった。お蔵入り寸前だったが、2009年12月10日から追加撮影され、2010年3月にクランクアップし、全国公開された。

プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉会員である(会員No.14)。

女川町出身であるが、女川町の隣にあり、中村の出身高校所在地でもある『宮城県石巻市出身』と雑誌等で記述されることが多い。

2016年11月8日に母親が94歳で死去。中村は「母親の死は息子にとって特別」と述べている。

2021年で70歳になったがジムに通って体力づくりをして鍛えている[19]

1975年に発売されたイギリスの二人組スプリンター (Splinter) の楽曲「ロンリー・マン」の日本語バージョンの作詞を担当。その縁でスプリンターが当時所属していたレコード・レーベル、ダークホース・レコード (Dark Horse Records) の社長であったジョージ・ハリソンの自宅を訪れたことがある[20]

出演
テレビドラマ

太陽にほえろ! 第84話「人質」(1974年2月22日日本テレビ) - 長谷川医師 ※テレビ初出演作

われら青春!(1974年、日本テレビ) - 沖田俊 ※本格デビュー作

虚構の家(1974年、NETテレビ

俺たちの勲章1975年、日本テレビ) - 五十嵐貴久 ※第14話で共演した五十嵐淳子と後に結婚

俺たちの旅(1975年、日本テレビ) - 津村浩介

結婚前夜シリーズ さよなら・インバネス(第6回)(1976年、TBSテレビ) - 藤木守

七丁目の街角で、家出娘と下駄バキ野郎の奇妙な恋が芽生えた(1976年、日本テレビ)

大河ドラマNHK

花神1977年) - 高杉晋作

おんな太閤記1981年) - 豊臣秀長

春の波涛1985年) - 川上音二郎

春日局1989年) - 徳川秀忠

武蔵 MUSASHI2003年) - 真田幸村


気まぐれ天使 第30話「蒸発のブルース」(1977年、日本テレビ) - 本人役 ※友情出演

俺たちの祭(1977年、日本テレビ) - 今城隆之


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