本記事では名古屋市中区の本社について、便宜上「名古屋本社」と記載する場合がある。
沿革
1886年(明治19年)- 新愛知の前身である『無題号』、名古屋新聞(以下、名古屋と略す)の前身である『金城だより』を創刊。
1887年(明治20年) - <新愛知>『無題号』、『愛知絵入新聞』に改題。
1888年(明治21年) - <新愛知>『愛知絵入新聞』、『新愛知』に改題。
1894年(明治27年)4月 - <名古屋>金城新報、真金城と分裂。
1896年(明治29年)7月 - <名古屋>真金城、『中京新報』に改題。
1906年(明治39年) - <名古屋>『名古屋新聞』を創刊(中京新報を継承)。
1933年(昭和8年)5月1日 - <新愛知>東京の『國民新聞』の経営権を取得。
1942年(昭和17年)9月1日 - 政府の新聞統制により、『新愛知』と『名古屋新聞』が合併して『中部日本新聞』を創刊。本社は当初、名古屋市中区西川端町の旧名古屋新聞本社に置く。
1944年(昭和19年)1月1日 - 朝刊一面掲載コラムの名称を現在の『中日春秋』とする[6]。
1946年(昭和21年)4月 - 本社を中区御幸本町通(現・中区丸の内)の旧新愛知新聞社本社に移す。西川端町の本社は別館となり、名古屋タイムズ社が入居する。
1950年(昭和25年)2月 - 森永ミルクキャラメルの「におい付き色刷り広告」を掲載、印刷技術新開発に成功。
1954年(昭和29年)2月25日 - 『中日スポーツ』を創刊。
1956年(昭和31年)2月23日 - 東京に進出し『東京中日新聞』を創刊。
中日新聞東京本社の旧社屋(東京都港区港南)。現在は解体。
1960年(昭和35年)11月1日 - 株式会社北陸新聞社と提携して『北陸中日新聞』を創刊[注 1]。
1963年(昭和38年)11月 - 『東京新聞』(1942年、『都新聞』と『國民新聞』が合併して創刊)を発行する東京新聞社の経営に参加。
1965年(昭和40年)1月1日 - 題字を『中部日本新聞』から『中日新聞』に改題[注 2]。
1967年(昭和42年)10月1日 - 『東京新聞』の編集・発行を東京新聞社から承継(東京支社が『東京本社』に昇格)。
1970年(昭和45年)- 1月、朝刊にて佃公彦による4コマ漫画『ちびっこ紳士』連載開始[注 3]。3月1日、『東京中日新聞』が『東京中日スポーツ』に改題。
1971年(昭和46年)9月1日 - 株式会社中部日本新聞社から『株式会社中日新聞社』に社名を変更[注 4]。名古屋市中区三の丸一丁目に現在の社屋が完成。
1972年 (昭和47年) - 『中日新聞縮刷版』の刊行開始。
1973年(昭和48年)4月 - 東京都千代田区内幸町二丁目に「日比谷中日ビルディング」(現在の東京本社所在地)完成。
1981年(昭和56年) - 静岡県浜松市に東海本社を開設。静岡県版の印刷・発行を名古屋本社から承継。
1984年(昭和59年)- 『ちびっこ紳士』連載5,000回突破。2月、同連載を『ほのぼの君』に改題。
1986年(昭和61年) - 創業100周年。名古屋本社のCTS(電子写真植字システム)『センチュリー』計画完了。
1993年(平成5年) - 『日刊福井』の発行を株式会社日刊福井から継承(北陸中日新聞の福井版と統合)。