中島春雄
[Wikipedia|▼Menu]
当時、「スーツアクター」という呼称はまだなく、中島は「ぬいぐるみ役者」を自称していた[注釈 3]。以後、18年間にわたり、ゴジラシリーズでゴジラを演じたゴジラ俳優として有名になる[出典 8]。また、ゴジラ以外の怪獣映画でも、主役の怪獣役を演じる[出典 9]

1956年(昭和31年)、27歳。『空の大怪獣 ラドン』でラドン役を演じ、日本初の本格的なワイヤーアクションを演じる[20]

1965年(昭和40年)、36歳。『三大怪獣 地球最大の決戦』公開後、松屋デパートを皮切りに、撮影用の「本物」のゴジラを着てのキャンペーン巡業が始まり、大阪や名古屋など各都市でゴジラの実演を行う。同年、監督の円谷英二から直接、「春坊、テレビ番組をやるからちょっと助けてくれ」と声をかけられ、円谷プロダクション初のテレビ特撮作品『ウルトラQ』で怪獣「ゴメス」役を演じる[22]。以後、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』にも怪獣役などで出演したほか、怪獣ショーの立ち回り指導も行なっていた[22]

1971年(昭和46年)、42歳。東宝から専属契約解除を言い渡された後、東宝撮影所脇の東宝経営のボウリング[23][注釈 4]に勤務。

1972年(昭和47年)、43歳。特撮スタッフからたっての願いを受けて『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』でゴジラを演じる。この作品を最後に、ゴジラのぬいぐるみ役者を引退する[出典 10]。ボウリング場の閉鎖後には、東宝経営の麻雀店の店長を務めた。麻雀店のほか、東宝共栄企業や東宝日曜大工センターで勤務していた時期もあった。

2011年(平成23年)、アメリカ合衆国ロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞する[24]

2012年(平成24年)11月、出身地である酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞する[25]

2015年(平成27年)急病のため、救急車で搬送されて緊急入院。

2016年(平成28年)肺がんを手術し、療養。

2017年(平成29年)8月7日午後3時6分、肺炎のため、東京都内の病院で死去[9]。88歳没[26]

2018年(平成30年)3月5日(現地時間で3月4日)、米ロサンゼルス・ハリウッドドルビー・シアターで開かれた第90回アカデミー賞授賞式の追悼コーナーで、他の映画関係者の故人らとともに追悼された[27]

2019年のアメリカ映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』では、エンドクレジットに「In memory of Yoshimitsu Banno(1931-2017) Haruo Nakajima (1929-2017)」との献辞が掲げられている。
ゴジラ俳優として

この節の内容の信頼性について検証が求められています
確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。
中島春雄とゴジラ(1955年)

ゴジラ俳優としての知名度は世界的であり[8]、海外ではミスター・ゴジラとの愛称で親しまれている[20][17]

ゴジラを演じることになった経緯は、先輩俳優の手塚勝巳と共にゴジラスーツを着て歩行テストしたところ、中島が10メートル歩けたこと[14][12][注釈 5]であると語っている[28][注釈 6]。また、『太平洋の鷲』でのファイヤースタントを円谷英二が記憶していたからだろうと語っている[出典 11][注釈 7]。1954年の1作目のゴジラは、最初に完成したぬいぐるみが150キログラム近くもあり、一度転べば自力では立ち上がれないようなものだったが、「軍隊で鍛えられてますからね、別段どうってことは無かったですよ」「ゴジラやるのは、予科練の厳しさに比べたらなんでもない[7]」と語っている。また、着脱が面倒であったことから、待ち時間はぬいぐるみを着たまま中で寝ていたという[10][1]

日本初の大怪獣ゴジラを演じるに当たって、どんな動きをすればリアルに見えるかと悩んだ。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:173 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef