1956年(昭和31年)、27歳。『空の大怪獣 ラドン』でラドン役を演じ、日本初の本格的なワイヤーアクションを演じる[20]。
1965年(昭和40年)、36歳。『三大怪獣 地球最大の決戦』公開後、松屋デパートを皮切りに、撮影用の「本物」のゴジラを着てのキャンペーン巡業が始まり、大阪や名古屋など各都市でゴジラの実演を行う。同年、監督の円谷英二から直接、「春坊、テレビ番組をやるからちょっと助けてくれ」と声をかけられ、円谷プロダクション初のテレビ特撮作品『ウルトラQ』で怪獣「ゴメス」役を演じる[22]。以後、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』にも怪獣役などで出演したほか、怪獣ショーの立ち回り指導も行なっていた[22]。
1971年(昭和46年)、42歳。東宝から専属契約解除を言い渡された後、東宝撮影所脇の東宝経営のボウリング場[23][注釈 4]に勤務。
1972年(昭和47年)、43歳。特撮スタッフからたっての願いを受けて『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』でゴジラを演じる。この作品を最後に、ゴジラのぬいぐるみ役者を引退する[出典 10]。ボウリング場の閉鎖後には、東宝経営の麻雀店の店長を務めた。麻雀店のほか、東宝共栄企業や東宝日曜大工センターで勤務していた時期もあった。
2011年(平成23年)、アメリカ合衆国ロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞する[24]。
2012年(平成24年)11月、出身地である酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞する[25]。
2015年(平成27年)急病のため、救急車で搬送されて緊急入院。
2017年(平成29年)8月7日午後3時6分、肺炎のため、東京都内の病院で死去[9]。88歳没[26]。
2018年(平成30年)3月5日(現地時間で3月4日)、米ロサンゼルス・ハリウッドのドルビー・シアターで開かれた第90回アカデミー賞授賞式の追悼コーナーで、他の映画関係者の故人らとともに追悼された[27]。
2019年のアメリカ映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』では、エンドクレジットに「In memory of Yoshimitsu Banno(1931-2017) Haruo Nakajima (1929-2017)」との献辞が掲げられている。 この節の内容の信頼性について検証が求められています。 ゴジラ俳優としての知名度は世界的であり[8]、海外ではミスター・ゴジラとの愛称で親しまれている[20][17]。 ゴジラを演じることになった経緯は、先輩俳優の手塚勝巳と共にゴジラスーツを着て歩行テストしたところ、中島が10メートル歩けたこと[14][12][注釈 5]であると語っている[28][注釈 6]。また、『太平洋の鷲』でのファイヤースタントを円谷英二が記憶していたからだろうと語っている[出典 11][注釈 7]。1954年の1作目のゴジラは、最初に完成したぬいぐるみが150キログラム近くもあり、一度転べば自力では立ち上がれないようなものだったが、「軍隊で鍛えられてますからね、別段どうってことは無かったですよ」「ゴジラやるのは、予科練の厳しさに比べたらなんでもない[7]」と語っている。また、着脱が面倒であったことから、待ち時間はぬいぐるみを着たまま中で寝ていたという[10][1]。 日本初の大怪獣ゴジラを演じるに当たって、どんな動きをすればリアルに見えるかと悩んだ。
ゴジラ俳優として
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中島春雄とゴジラ(1955年)