中島平太郎
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享年96[3]

主な業績

プロ用コンデンサーマイクの開発(NHK技術研究所時代、今なお現役のソニーC-38Bの源流になるCU1-1を1954年に開発。その商品化はソニーに依頼)

国産初の放送モニタースピーカー(BTS放送技術規格
)の開発(NHK技術研究所時代、商品化は三菱電機に依頼。型式名:2S-305)

世界初のデジタル録音機を製作

PCMプロセッサー(家庭用VTRを使ったデジタルオーディオ録音機)の開発を主導

CD-DAの開発・標準化を主導

DATの標準化を主導(開発には関与していない)

CD-Rの開発・標準化を主導

CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。

デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。
著書

ブルーバックスB-218 「オーディオに強くなる」 - 1972年第1版、ISBN 4061178180

オーム社「図解 コンパクトディスク読本」 - 小川博司との共著、1982年第1版、ISBN 4274029654

風雲舎「次世代オーディオに挑む」- 1999年第1版、ISBN 493893910X

ほか多数
栄誉

1989年 - IEEE井深大コンシューマー・エレクトロニクス賞を受賞。

1993年 - CD開発の功績により紫綬褒章を受章。

脚注^ “「CDの父」中島平太郎氏、久留米に銅像”. 西日本新聞ニュース (2019年11月7日). 2019年12月9日閲覧。
^音との付き合い70年?(その1)NHKに入るまで (一社)日本オーディオ協会 JASジャーナル2016年9月号(Vol.56 No.5)
^ 中島平太郎氏、死去=96歳、「CDの父」 時事ドットコム、2017年12月13日

外部リンク

CDs21ソリューションズ 中島平太郎プロフィール

石橋記念ホール50周年記念サイト 石橋文化ホール音響設計の思い出

タマゴ型スピーカ「D’Egg」 - プロジェクトリーダーを務めた

「NH Lab.」 - NH Lab.(Nakajima Heitaro Laboratory)


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