孫文の死後、国民党内部の共産勢力が謀略を始めた。党内左派の領袖廖仲トが暗殺され、共産勢力から暗殺の首謀者とされた右派の胡漢民は国外へ逃亡。発言力の大きかったソ連軍事顧問団のキサンガは北伐が時期尚早であると反対し、常務委員会主席・軍事委員会主席で人望のあった汪兆銘も共産勢力に対して指導力を発揮できず、国民党の悲願である北伐(全国統一)を開始できない状況にあった[3]。1926年1月1日広州において中国国民党第二次全国代表大会が開催され、?介石は北伐の実行を力説した。これは共産勢力による抵抗のため却下された[4]が、?介石はこの状況の中で主導権を握る機会を狙っていた。
中山艦の回航と弾圧開始黄埔軍官学校
1926年3月18日、国民党海軍局所轄の軍艦「中山」が突如として広州の黄埔軍官学校の沖合に現れた。国民党内左派・共産党は?介石をソ連に拉致しようとしたが[5][6]、?介石はこれを中国共産党員による?介石拉致のための策謀と断じ、3月20日艦長の李之竜(共産党員)をはじめ共産党・ソ連軍事顧問団関係者を次々に逮捕、広州の共産党機関を捜索し労働者糾察隊の武器を没収し、広州全市に戒厳令を発するという挙に出る。
?介石の主張によれば、反乱平定後に判明したこととして、この中山艦の行動は、ソ連軍事顧問らの共産勢力が共謀して?介石を拉致し、ウラジオストクへ強制連行し、ソ連に送るためのもので、国民革命に乗じて「無産階級専政」実現のためにはただ一つの障害であった?介石を除こうとしたものであるという[7]。この事件をきっかけに?介石の党内の地位は急速に上昇していくことになった。 それまで?介石は国民党軍の総監という比較的低い地位に留まっていたが、事件後には国民党軍事委員会主席に就任し、党内の実権を握っていった。汪精衛は?介石の傀儡となることを拒み自発的に辞任して、妻を伴いフランスへ逃れた。国民党の主導権を確立した?介石は以前から危機感を持っていた共産党員の擡頭に対処するため、軍事委員会に「整理党務案」を通過させ、共産党員を国民党の訓令に絶対服従させるとともに、国民党の要職から共産党員を排除していく。共産党員は当然これに反撥したが、スターリンの意向を受けたソ連軍事顧問団はこれを抑制。むしろ?介石と対立していたキサンガらを召還するなど、?介石に妥協している。こうしてかろうじて国共合作は続けられた。 邪魔者を排斥した?介石は国民革命軍総司令に就任し、同年7月1日共産勢力に阻まれていた「北伐宣言」を発表して北伐戦争を開始した[8]。北伐戦争は順調に進み各地軍閥を圧倒、翌1927年には武漢・南京・上海などを占領する。しかし、?介石の指導に党内で反?的な空気が醸成され、解放された武漢や上海では共産党員・国民党員らが?介石から独立した動きを見せるようになり、南昌に本拠を移した?介石に対抗した。さらに共産主義者による南京事件勃発により欧米の非難をこうむると4月12日?介石の指揮により上海で大規模な共産党員弾圧(上海クーデター)が開始され、第一次国共合作の崩壊が始まった。
事件の影響
脚注[脚注の使い方]^ a b サンケイ新聞 1975 p.73
^ 横山1997、140p。
^ サンケイ新聞 1975。
^ サンケイ新聞 1975 pp.15-20。
^ 関榮次 (2011/3/16). ?介石が愛した日本
^ 金森誠也 (2007/12/3). 世界の名言100選. PHP研究所. p. 224. ISBN 4569669522. https://books.google.co.jp/books?id=XFL9GPSZlUwC&pg=PA224&dq=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E8%89%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6&hl=ja&ei=NrKvTveuJYbymAXK3LWzAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CEgQ6AEwBg#v=onepage&q=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E8%89%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6&f=false 2011年11月5日閲覧。
^ サンケイ新聞 1976 pp.31-32
^ サンケイ新聞 1976
参考文献
『東洋歴史大辞典 中巻』(1941年、縮刷復刻版、臨川書店、ISBN 465301471X)1212p「中山艦事件」(執筆:植田捷雄)
『?介石神話の嘘 中国と台湾を支配した独裁者の虚像と実像』(黄文雄、2008年、明成社、ISBN 9784944219704)
『中華民国 賢人支配の善政主義』(横山宏章、中公新書、1997年、ISBN 4121013948)140-141p
サンケイ新聞編『?介石秘録 6 共産党の台頭』サンケイ新聞 1975年
サンケイ新聞編『?介石秘録 7 統一への進撃』サンケイ新聞 1976年
関連項目
西安事件(1936年の?介石拉致事件)
汪兆銘
中国国民党
国共合作
黄埔軍官学校
北伐
上海クーデター
外部リンク
『中山艦事件』 - コトバンク
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