中学校
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

学校教育法施行令(昭和28年政令第340号)の第25条(市町村立小中学校等の設置廃止等についての届出)の第5号を根拠としている[注釈 2]。中学校における夜間の授業(夜学)は、各学校において「夜間中学」、「夜間部」、「夜間学級[6]」などと名称が定められ、夜間中学(校)などとも通称されることが多い。校舎などの学校施設が、在学する生徒数に対して極端に不足している場合などに行われることもあるが、現代社会では昼間に通学して学習することが困難である人のために、夜間にも授業を行うことを指すことが多い。

夜間の授業を受けるための入学資格を定めた法令等は存在しないものの、義務教育を修了していない人であり、かつ学齢を超過している人(満15歳に達した日以後に4月1日を迎えている人)である事が、実質的な夜間の授業を受ける要件とされていたが、2015年の文部科学省の通知[7]により、ほとんど出席せず卒業した者も個別に判断して夜間中学校に入ることができるようになった。外国人労働者が増えたことにより日本の教育を受ける外国人の入学者を認めている自治体(学校)もある。昼間は不登校の中学生が学べる場として自主的に設けられている夜間中学があるほか、2022年度に開校した香川県にある三豊市立高瀬中学校夜間学級が、文部科学省から不登校特例校の指定を公立夜間中学では初めて受けて、市内外から中学生を含めた生徒を受け入れている[6]

2022年の時点で、夜間の授業を行う学校の数は40校[8]、2021年の生徒数は1393人である[9]が、夜間の授業に積極的な設置者(教育委員会学校法人など)が、東京圏大阪圏に集中しているため、中学校の正規の授業として認可を受けていない「自主夜間中学」が日本全国の20校ほどの中学校と有志で運営されてきた。こうした状況を打開するため、義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(平成28年12月14日公布)では、未設置の道府県にも夜間の授業を行う中学校を最低1校設置して、就学の機会を提供することが提唱された。その一例として、夜間の授業を行う中学校を設置していなかった埼玉県で、2019年(平成31年)4月1日に川口市立芝西中学校陽春分校に県下全域を対象とした夜間学級が設置された。

中学校における夜間の授業は、『暮しの手帖』のように取り上げる雑誌もあったものの、1993年に上映された山田洋次監督映画学校』が話題となるまで、世間全般への認知度は高いものではなかった。
授業

夜間の授業は、二部授業(時間帯別に生徒を分けた授業)として認可されているため、夜間に授業を行う中学校は、通例、昼間にも授業を行っている。使用する校舎や教室は該当する中学校を使用する他に、近隣の小学校の空き教室や公的施設を使用する例もある[10]。夜間の授業は、夕方5時30分頃から授業が開始され夜9時頃に終わる、4時限の課程である。

夜間の授業を受けている人には、外国籍、戦後の混乱期に勉強の機会を得られなかった高齢者、不登校など、ほとんど文字の読み書きができない成年の生徒も多く[11]、そういった学齢超過者は、日本の現在の受け入れ態勢の下では小学校に入学することが困難であるため、中学校における夜間の授業は、日本語教室日本語学校識字教室、小学校の代替としての役割も果たすともいわれている。また、授業時間は、昼間の授業よりも少ない場合が多く、授業は「中学校学習指導要領」(文部科学省告示)を完全に履修する事は難しい。そのため、国語数学のように、日常生活の基本となる教科が重視され、それ以外の教科や実技教科(保健体育など)に割り当てられる時間数は少ない。生まれて初めて鉛筆を持つ人から、中学校に途中まで在学した人までの幅広い生徒が在籍し、生徒間の学力の差が大きいため、習熟度別授業を行っている事が多い[12][13]。また、制服はない場合が多い。夜間の授業を受ける場合は、年間を通して随時入学できる。
歴史

元々、中学校における夜間の授業は、第二次世界大戦降伏後の混乱期の中で、生活困窮などの理由から昼間に就労または家事手伝いなどを余儀なくされた学齢者が多くいたことから、それらの人に教育の機会を提供する事を目的として中学校で行われたものである。当時は、「夕間学級」などとも呼ばれた。高等学校の「定時制の課程」とは異なり、夜間に授業を行うための特別の「課程」の制度はない。

なお、旧制中学校にも夜間の課程は存在していたが、これは現在の夜間中学とは系統が異なり、新制高校の定時制課程の起源として見られることが多い。戦前の旧制学校のうち、現在の中学夜間学級に近い例としては、板橋区に存在した板橋尋常夜学校等の夜間小学校や夜間に授業を行った日本各地の実業補習学校が挙げられる。

1947年学制改革の直後、大阪市生野区で長期欠席生徒向けの夕方の補習授業「夕間学級」が開始された。また東京都の戦後初めての夜間学級は、1951年足立区立第四中学校で開設されたものである。同校の伊藤泰治校長らは、足立区周辺に広がるスラム街のうち、学校に近い所を回って夜間学級を宣伝し、当初はわずかな人数しか集まらなかったものの、やがて300人程度の生徒を抱えるようになった。

未就学児を学校に行かせる事は、その家庭にとっての労働力を失う等、スラム街の貧困状況を物語る背景が大きくあった。当時の文部省は夜間中学設立に対して阻止の圧力をかけるなど、夜間中学設立に関しては伊藤泰治校長らの相当な苦労と熱意が無ければ成しえなかったであろう。

夜間学級の設置校のピークは1954年の87校であり、生徒数のピークは1955年の5208人である。大阪では1969年に最初の夜間学級が大阪市立天王寺中学校に開設された。

そのあと一時期は、「夜間の授業はあくまで臨時の措置であり、学校教育法そのものが想定しているものではない」「学齢超過者は学校教育ではなく社会教育で学ぶべきである」という趣旨で、教育行政において縮小・廃止の検討がされ、1968年には校数21校・生徒数416人に減少した。これに対し夜間中学卒業生の高野雅夫などの教育活動家が、廃止反対・設置要求の運動や、証言映画の上映をするなどの熱心な支援をしたため、夜間中学校は息を吹き返し、現在までも存続している。近年は、日本国籍を有していない生徒や、元不登校の生徒も増えてきている。
第二次世界大戦降伏後しばらく、特に1955年から10年間ほどは、学齢期の生徒も多く通学していたが、学齢期のこどもの不正な労働の防止[注釈 3]を目的として、現在では、学齢超過者のみに通学が制限されている。
設置状況(2024年4月現在)

日本全国の夜間中学校設置状況は以下の通り。
北海道
北海道
札幌市立星友館中学校[14]
東北
宮城県
仙台市立南小泉中学校夜間学級[15]福島市立福島第四中学校天神スクール[16][17]
関東
茨城県
常総市立水海道中学校
[18]
群馬県
群馬県立みらい共創中学校[19][20]
埼玉県
川口市立芝西中学校陽春分校[21]
千葉県
千葉市立真砂中学校かがやき分校[22]市川市立大洲中学校[23]松戸市立第一中学校みらい分校[24]
東京都
墨田区立文花中学校[25]大田区立糀谷中学校[26]世田谷区立三宿中学校[27]荒川区立第九中学校[28]足立区立第四中学校[29]葛飾区立双葉中学校[30]江戸川区立小松川第二中学校[31]八王子市立第五中学校[32]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:93 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef