東京駅?神田駅間は東北本線、代々木駅?新宿駅間は山手線に属し、その他の区間は中央本線である。国鉄時代はこれらの2区間が重複所属であったが、民営化後に変更された。マルスシステムの経路表示は「中央東線」と称して区間は「東京?神田?御茶ノ水?代々木?新宿?韮崎?」としており、東京駅?神田駅間が「東北線」と重複して「山手線」の代々木駅?新宿駅間は分断されている。当該区間のうち、御茶ノ水駅?中野駅間は国鉄時代に早くから複々線化されたことや、複々線の両方に旅客列車が走行し急行運転を行ってきたことから[要説明]、現在も快速電車や長距離列車などが走る線路の正式な呼称は「中央本線」である[9][10][11][12]。「中央本線」も参照
かつて、現在の快速電車は急行電車と称していたが、松本・甲府方面の準急が急行列車(有料)に格上げされたことから、料金不要の急行電車は快速電車と改称された。「急行列車#急行電車(急電)」も参照 東京駅 - 高尾駅間のもの(御茶ノ水駅 - 三鷹駅間は急行線に関するもののみ)。 東京駅 - 西荻窪駅間が首都圏本部、吉祥寺駅 - 高尾駅間が八王子支社の管轄であり、西荻窪駅 - 吉祥寺駅間に支社境界がある。 甲武鉄道の東京都心乗り入れに際して建設された市街線(しがいせん)に、関東大震災後の復興事業での貨客分離および長距離列車と近郊電車との路線分離を行うために複々線化した上で、列車線兼貨物線として開業したのが現行の中央線快速の始まりとされる。 御茶ノ水駅 - 中野駅間で複々線が建設され、1932年(昭和7年)に完成した。計画当初は貨物輸送力の増強を企図していたが、完成後は一部時間帯に急行電車を運行させて旅客輸送力の強化を図った。この計画と同時に総武本線両国駅 - 御茶ノ水駅間も高架鉄道として建設され、ラッシュ時は東京駅発着の電車を急行電車として運行することとなり、各駅に停車する電車は一部の時間帯に総武本線へ乗り入れることとなった。 第二次大戦後は中央線の輸送力増大が重要な課題となり、1957年に東京駅 - 御茶ノ水駅間および中野駅 - 三鷹駅間の複々線化を決定するも実施に苦慮していたところ、1960年に帝都高速度交通営団から東西線との直通運転の提案を受け、東京 - 御茶ノ水駅間線増に代わるものとした[13]。引き続き「通勤五方面作戦」が進む中で1966年(昭和41年)に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成し、中央緩行線の電車と営団地下鉄東西線(現在の東京メトロ東西線)乗り入れの電車がこの区間に運行されている。1969年(昭和44年)には複々線区間が三鷹駅まで延長された。だがそれ以降計画はほとんど進まず、三鷹駅 - 立川駅間の複々線化事業は事実上の凍結状態にある(詳細は複々線化を参照)。
路線データ
路線距離(営業キロ):53.1 km
管轄(事業種別)
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):53.1 km(全線)
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):42.8 km(新宿駅 - 高尾駅間)
軌間:1,067 mm
駅数:24(起終点駅を含む。急行線上にホームのない駅は除く)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流1,500 V)
閉塞方式:自動閉塞式
保安装置:ATS-P
最高速度
東京駅 - 八王子駅間:100 km/h(E233系0番台もしくは209系1000番台で運転する列車[報道 3])、95 km/h(その他の列車)
八王子駅 - 高尾駅間:130 km/h(優等列車)、100 km/h(普通列車)
運転指令所:東京総合指令室
準運転取扱駅(異常時、入換時は駅が信号を制御):御茶ノ水駅・新宿駅・三鷹駅・武蔵小金井駅・国分寺駅・立川駅・豊田駅・八王子駅・高尾駅
列車運行管理システム:東京圏輸送管理システム (ATOS)
車両基地:豊田車両センター(豊田駅)、豊田車両センター武蔵小金井派出所(武蔵小金井駅)
担当乗務員区所
豊田運輸区 :東京駅 - 高尾駅間
八王子運輸区:立川駅 - 高尾駅間(車掌)、豊田駅 - 高尾駅間(運転士)
甲府統括センター(運輸) :立川駅 - 高尾駅間(車掌)、豊田駅 - 高尾駅間(運転士)
松本運輸区:東京駅 - 高尾駅間(車掌)、新宿駅 - 高尾駅間(運転士)、どちらも特急列車のみ
立川車掌区 :東京駅 - 高尾駅間
立川運転区 :東京駅 - 高尾駅間
東所沢電車区:国立駅 - 八王子駅間(むさしの号のみ)
IC乗車カード対応区間:全線(Suica首都圏エリア)
歴史
1889年(明治22年)