中央構造線
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「中央構造線の再活動」または「地質境界である中央構造線に平行して出現した断層」としてとらえられているこの断層運動[19]は、新期中央構造線[16](新中央構造線[17]、新MTL[17]とも)と呼ばれている。古期中央構造線については関東から九州まで確認することができるが、新期中央構造線は紀伊半島から四国東部・中部にかけてのみ明瞭に確認できるものの他の地域では見つけにくくなっている[17]。また、新期中央構造線は古期中央構造線の北側にある高角の断層であり、地下数キロ (km) の浅い場所で新期中央構造線が古期中央構造線を切っていると考えられている[17][20]
各地の中央構造線
関東地方中央構造線の東端と推定される霞ヶ浦北浦周辺

群馬県下仁田から比企丘陵北縁にかけて露出している。関東平野では新第三紀と第四紀の堆積層の下に埋まっている。しかし関東平野中央部での深さ3,000mに達するボーリング調査により、埼玉県岩槻のやや南方を通っていることが確かめられている[21]。その東方の通過位置は正確には分かっていないが鹿島灘へ抜けて、棚倉構造線[注釈 4]の延長に切られていると考えられている[10]。但し棚倉構造線については、先新第三紀に棚倉構造線が中央構造線と連結していた可能性も指摘されている[23]

中央構造線の南側に沿って分布する三波川変成岩は関東山地によく露出しており、埼玉県長瀞渓谷はその代表的な露出地。「三波川」も群馬県藤岡市の地名から名づけられた。中央構造線の北側に沿って分布する領家変成岩や花崗岩は、筑波山に露出している。

関東東方沖の海底には、落差2,000 m以上の「鹿島海底崖」と呼ばれるが形成され、崖の南東側には大規模な地すべり地形が出来ている[24]
中部地方中部地方の中央構造線

糸魚川静岡構造線より東方のフォッサマグナ地域では、新第三紀の堆積岩に覆われている[10]諏訪湖南方の茅野からはよく露出している。伊那谷を少し東にずれた伊那山地赤石山脈の間を南西に向かって走る。人工衛星からの写真では、破砕帯侵食されて明瞭な直線谷の地形を見せる。

領家変成岩や花崗岩は、木曽山脈伊那山地三河地方、鈴鹿山脈南部によく露出している。「領家」は遠州水窪(現・浜松市天竜区)の地名を取っている。しかし、設楽地方では鳳来寺山などの新第三紀の火山岩や堆積岩に覆われている。三波川変成岩は、赤石山脈西麓、旧天竜市北方、豊川南方によく露出している。

茅野から水窪にかけては新第三紀に活発な再活動があったが、第四紀の活動性は低い。現在の大地形を造っている断層は伊那盆地と木曽山脈の境を画する伊那谷断層で、天竜川本流も伊那谷断層沿いを流れている[要出典]。中央構造線は水窪から次第に西へ向きを変え、豊川に沿って三河湾に入り、渥美半島以西は西に向きを変え伊勢湾口を通る[10]
近畿地方近畿地方の中央構造線

紀伊半島中央部を東西に横断する。伊勢二見浦の夫婦岩や、和歌山の和歌浦の岩石は三波川変成岩。領家変成岩や花崗岩は、生駒山金剛山をつくり、瀬戸内海にかけてよく露出している。

しかし、奈良県五條から西では内帯の中央構造線沿いは白亜紀の断層活動で陥没して堆積した和泉層群(和泉帯)に覆われ、紀伊半島中央部から四国にかけての中央構造線は、和泉層群と三波川変成岩の境界断層になる。和泉層群は和歌山市加太海岸でよく見られる。松阪市粥見から西の櫛田川や、紀ノ川の川床には三波川変成岩が露出しており、中央構造線はその北岸を通っている。

その北方には現在の地形を食い違わせている活断層が見られる。活断層としての中央構造線は、高見峠より東の三重県側はあまり活発な活動をしていないが、奈良県以西は1,000年間に5 m程度動いている非常に活発なA級活断層である。活断層上に古くから有名な根来寺があるが大地震の記録は無く、前回の地震発生からかなりの時間が経過し、地震を発生するエネルギーが蓄積されていると思われる。

政府の地震調査研究推進本部によれば、金剛山地東縁から和泉山脈南縁の和歌山市付近に至る区間が活動すると、内陸型地震としては最大級となるマグニチュード(以下M)8.0程度の地震が発生する可能性がある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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