中央本線
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このうち東京駅 - 塩尻駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)[1]、塩尻駅 - 名古屋駅間は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄[2]となっている[注釈 4]。なお、国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』上では、本路線のうち東京駅 - 神田駅の間は重複する東北本線の一部[5]とされ、同様に代々木駅 - 新宿駅の間は重複する山手線の一部と[6]されている。また、区間や系統別に「中央東線」「中央西線」「中央線快速」など、様々な呼称がある(詳細は後述)。

地域ごとの詳細については、以下の記事も参照。

中央線快速 (東京駅 - 高尾駅間)

中央・総武緩行線御茶ノ水駅 - 三鷹駅間)

中央線 (名古屋地区)中津川駅 - 名古屋駅間)

概要

中央本線は、東京都心から西の多摩へ延びて山梨県へ入り、長野県中南部および南西部(中信南信)と岐阜県東南部(東濃)を経由して、愛知県名古屋までを結ぶ鉄道路線であり、東京都と山梨県や長野県、あるいは長野県と中京圏・京阪神を結ぶ重要な輸送ルートになっている。東京・名古屋の両都市から沿線の主要駅や信州地区を結ぶ特急列車が頻繁に運転されているほか、両都市圏では都心部への通勤輸送の役割も担う。また、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運転されている。

岡谷駅 - 塩尻駅間は塩尻峠から大城山にかけての山地を避け、辰野駅を経由する約28 kmの迂回ルートで開通したが、1983年昭和58年)7月に全長約6 kmの塩嶺トンネルを抜けるみどり湖駅経由の短絡線が開通し、同駅間が約12 kmに短縮されたことで、大幅な時間短縮が実現した。どちらの線区も中央本線に属し、旧来の区間(辰野駅経由)は支線となっている。この支線は「辰野支線」または「辰野線」、あるいはみどり湖駅・塩嶺トンネル経由を「新線」と呼ぶのに対して「旧線」などと呼ばれる。また、この路線を伊藤大八という代議士が誘致したという話から大八廻りとも呼ばれた。飯田線の大半の列車がこの支線のうち岡谷駅 - 辰野駅間に乗り入れている(「運行形態」の節を参照)。

本路線の線路は全線独立しているが、国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画、および国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』では、先行敷設路線との営業距離の重複計上を行わないようにするため、東京方面の東京駅 - 神田駅間は東北本線[5]、代々木駅 - 新宿駅間は山手線[6]となっているが、名古屋方面では金山駅東海道本線のホームが設けられたことで、金山駅 - 名古屋駅間[注釈 5]は東海道本線と重複計上されている[7][注釈 6]

本路線は、同じように首都圏中京圏を結ぶ東海道本線や東海道新幹線太平洋沿岸を走るのと比較して山間部を走る路線であり、勾配もきつく距離も長いが、1964年(昭和39年)10月の東海道新幹線開業前は東海道本線のバイパスとしても利用されており、全線を走行する列車も存在していた。しかし、東海道新幹線開業後は、全線を通しての通過輸送はほとんど存在しなくなり、1982年(昭和57年)5月の塩尻駅位置移転以降、東京方面および名古屋方面どちらの列車も、大半が塩尻駅から篠ノ井線の松本駅方面に直通しているため、塩尻駅を跨いで東京方面と名古屋方面を直通する旅客列車は基本的にはなく、平時において前述のようなバイパス機能を果していない。ただし、貨物列車団体臨時列車などの一部の列車は旧塩尻駅構内敷地(いわゆる塩尻大門。塩尻駅構内扱い)の両方面間直通用の単線線路(連絡線)を通り、塩尻駅のホームを経由せず塩尻駅自体を通過する形で両方面間を直通している(詳細は後述)。

なお、塩尻駅 - 名古屋駅間については、国鉄時代から、列車番号の付け方と駅構内の場内出発信号機に記されている「上下」の標示が路線本来の上り・下りの方向とは逆となっており、名古屋駅から塩尻駅へ至る方向(距離標の数字が小さくなる方向)を下りとして列車番号には奇数を付け、信号機には「下」と標示している。このため、中央本線は東京駅 - 塩尻駅間も塩尻駅 - 名古屋駅間も塩尻駅・松本駅方面が下り列車であり、東京駅 - 塩尻駅間は原則通り東京駅方面が上り列車だが、塩尻駅 - 名古屋駅間は逆に名古屋駅方面が上り列車となる。

図1 塩尻駅南方にある中央本線の東西分岐。左が東京方面、右が名古屋方面。

1975年当時の塩尻駅。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。今日の塩尻駅は画像上部の篠ノ井線側に設置され、東京方面に向かう東線と名古屋方面に向かう西線はハの字に分岐している(図1参照)。右下へ延びる路線は今日の辰野駅経由の支線。

名称について

本路線は「中央線」と「中央本線」の2通りの名称で呼ばれており、国土交通省などによる公文書や『鉄道要覧』では「中央線」の名称が使用されることが多いが、JR各社を始めとする民間では、両方の名称が混用されている。また、松本駅に連絡する篠ノ井線との連絡駅であり、JR東日本とJR東海の境界駅でもある塩尻駅を境に東京駅 - 塩尻駅間を中央東線(ちゅうおうとうせん)、塩尻駅 - 名古屋駅間を中央西線(ちゅうおうさいせん)と呼び、区別することがある。

この複雑な使い分けの経緯は、1909年明治42年)10月の『明治42年鉄道院告示第54号』によって公布された国有鉄道線路名称[8][9]で、鉄道院に所属する鉄道路線は23部72路線に区分され、本路線は当時昌平橋駅 - 篠ノ井駅間を「中央東線」・名古屋駅 - 野尻駅間を「中央西線」として制定、またそれぞれを「中央東線の部」・「中央西線の部」として制定した[9][10](中央東線については歴史の節の「甲武鉄道国有化以降」および「塩尻駅 - 宮ノ越駅間」の節、中央西線は同節「木曽福島駅 - 名古屋駅間」を参照)。その後、1911年(明治44年)5月宮ノ越駅 - 木曽福島駅間の延伸開業に伴い、塩尻駅 - 篠ノ井駅間を篠ノ井線として分離、中央東線と中央西線は中央本線に統合され、中央東線の部および中央西線の部は廃止となり、中央本線と篠ノ井線は追加創設された「中央線の部」(略称:中央線)に組み込まれた[11][12]

この「中央線」という名称は、本路線(辰野支線も含む)とその系統路線(青梅線五日市線など)を指す総称として使用され、国鉄分割民営化以降にJR各社に制定された「JR線路名称公告」においても、その扱いが引き継がれた。また、鉄道省(→日本国有鉄道)時代から本路線の東京近郊を走る通勤形電車(省電・国電)も「中央線」と呼ばれていた。しかし、民営化の際に策定された『日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画』(JR事業基本計画)[13] において、本路線の名称が「中央線」とされたため、従来は中央本線と呼ばれていた本路線に対しても、公文書を中心にこの名称が使われるようになった。また、前述の線路名称制定時の名残で中央東線は東側(東京駅 - 塩尻駅間)を、中央西線は西側(塩尻駅 - 名古屋駅間)を指す通称名となった。


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