中央公論
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196622位10位廃刊1位
196718位10位廃刊1位
196824位9位廃刊1位
196922位9位廃刊1位
197027位17位廃刊1位
197127位12位廃刊1位
197227位15位廃刊2位
197331位11位廃刊1位
1974ランク圏外18位廃刊1位
197537位17位廃刊1位
197650位27位廃刊1位
197747位16位廃刊1位
1978ランク圏外27位廃刊1位
1979調査無し調査無し廃刊調査無し
1980調査無し調査無し廃刊調査無し
1981ランク圏外21位廃刊1位
1982ランク圏外35位廃刊1位
1983ランク圏外ランク圏外廃刊1位
1984ランク圏外39位廃刊1位
1985ランク圏外ランク圏外廃刊1位
1985ランク圏外ランク圏外廃刊1位

評価・批判
『朝日新聞』論壇時評

三島由紀夫は、『中央公論』1968年7月号で70枚の論文「文化防衛論」を発表したが、小汀利得との対談で以下のように述べている。読売新聞と東京新聞は、それぞれ林房雄さん、林健太郎さんが文壇時評をやっておられるからいろいろ親切に採り上げてくださる。見ようによっては親切すぎるわけですね。ところが朝日、毎日は一行も取扱わなかった。黙殺です。朝日は長洲一二さんがやっていますが一行もとりあげないし、毎日は社内記者がやっていますが、やはり一行もふれない。そうすると、一つの現象があって、この目鼻立ちがいいか悪いかわかりませんが、そこに人間がいることは確かなんですね。それを黙殺するということは、たぶんに意識的だ。意識的な態度にちがいないと思うのは、あるいは私のウヌボレかも知れません。その辺が、こっちがウヌボレで、つまり偏向だという場合と、それから実際に偏向である場合の区別がつけにくいんですね。これは実にむずかしい。私がそんなことをいうと、「あの野郎はつまらんものを書きやがって、ウヌボレやがって、とり上げられないのは当たり前だ」ということになる。じゃ第三者から見た場合はどうかというと、その第三者の中に右も左もいる。いいという奴と、黙殺するのが当然という奴がいるかもしれない。第三者だって公平とはいえない。言論の偏向ということは実にむずかしい。 ? 『尚武のこころ』p4-p5「天に代わりて」

辻村明による『朝日新聞』論壇時評(1951年10月?1980年12月)の量的分析は以下のようになる[13]
雑誌別言及頻度

『世界』1390

『中央公論』1072

『朝日ジャーナル』(注:1959年3月15日号創刊)556

『文藝春秋』467

否定的に取り上げらた割合

『改造』19%

自由』15%

『文藝春秋』13%

『中央公論』10%

『世界』5%

『朝日新聞』論壇時評において『中央公論』は多く取り上げられているが、否定的に取り上げられるケースが多く、辻村明は以下のように評している[14]。『中公』も現実主義路線として批判されることが多かったので、このような悪い評価が比較的高くなるのであるが、『文春』『自由』となると、反左翼的、あるいは右翼反動的な雑誌として、悪い評価が一層高くなっている。『自由』が目の仇にされている様子が窺われる。(中略)『諸君!』『正論』も『自由』とほぼ同じ傾向の雑誌であり、ほとんど論壇時評にとりあげられないが、(中略)編集方針が論壇時評の担当者の意に添わないことの結果でもあろう。それはやはり比較的若い『現代の芽』や『現代の理論』がベストテンに入っていることと対照的である。 ? 「朝日新聞の仮面」『諸君!』1982年1月号

1981年1月(高畠通敏)?2009年2月(松原隆一郎)まで論壇時評者14人の言及した上位15誌は以下となる[15]

朝日新聞論壇時評言及頻度(1981年1月?2009年2月)[15]順位雑誌名総数肯定的言及否定的言及
1世界46093.7%6.3%
2中央公論35585.6%14.4%
3エコノミスト22295.5%4.5%
4文藝春秋14390.2%9.8%
5朝日ジャーナル9198.9%1.1%
6Voice8086.3%13.8%
6諸君!8082.5%17.5%
8論座7389.0%11.0%
9現代思想5194.1%5.9%
9週刊東洋経済5192.2%7.8%
11月刊現代4693.5%6.5%
12月刊Asahi3994.9%5.1%
13アスティオン3497.1%2.9%
13潮3485.3%14.7%
15正論3384.8%15.2%

相変わらず、『世界』と『中央公論』が多く取り上げられており、論壇時評者14人のうち9人が最も多く言及したのは『世界』であり、残りの論壇時評者の多くは『中央公論』を最も多く言及したが、その場合は『世界』の言及頻度は2位となる[16]
歴代編集長

氏名就任年退任年
武田福松
1899年1903年
麻田駒之助1904年
高山覚威1905年
麻田駒之助1906年1912年
滝田樗陰1912年1925年
高野敬録1925年1926年
嶋中雄作1927年1928年主幹
木佐木勝1927年1929年
雨宮庸蔵1929年1932年
荒川竹志1932年
佐藤観次郎1933年1936年
雨宮庸蔵1937年1938年
小森田一記1938年1940年
松下英麿1940年1941年
畑中繁雄1941年1943年
松下英麿1943年1944年
?山政道1945年1946年
畑中繁雄1946年1947年
山本英吉1947年1949年
篠原敏之[注 1]1949年1953年
藤田圭雄1953年1954年
嶋中鵬二1954年1957年
竹森清1957年1960年
嶋中鵬二1961年
笹原金次郎1961年1965年
宮脇俊三1965年1967年
粕谷一希1967年1970年
島村力1970年1972年
笹原金次郎1972年1973年
粕谷一希1973年1976年
青柳正美1976年1983年
望月重威1983年1985年
近藤大博1985年1988年
平林孝1988年1990年
青柳正美1990年1991年
宮一穂1991年1997年
平林敏男1997年
湯川有紀子1997年1999年
宮一穂1999年2001年
河野通和2001年2004年
間宮淳2004年2011年
木佐貫治彦2011年2014年
安部順一2014年2016年
齋藤孝光2016年2018年

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 俳人篠原梵

出典^平井金三における明治仏教の国際化に関する宗教史・文化史的研究吉永進一ほか、科研報告書、平成 16年度 ?18年度


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