第二次世界大戦後、これらの地域は西ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインを除いて共産圏になり冷戦時代に政治的に東側諸国(Eastern Bloc)と呼ばれた。
1989年から1991年の東欧革命により共産党政権は崩壊したが、旧東側諸国の「東欧(Eastern Europe)」では地理的意味で「中欧(Central Europe)」の表記が用いられる場合もある。ベルリンの壁崩壊後はロシアの影響力が衰退、西欧の影響力のもと、2004年にはポーランドをはじめとした旧共産圏の中欧諸国は欧州連合 (EU) に加盟した。
比較国際連合の行政における(便宜上の)ヨーロッパの地域の分類 [8] 北ヨーロッパ 西ヨーロッパ 東ヨーロッパ 南ヨーロッパ「東ヨーロッパ」も参照
冷戦期に共産圏に含まれた中央ヨーロッパは、現在でも東欧とみなされることが多い。
西スラヴ諸国と東スラヴ諸国では同じスラヴ語派の原語に属し、各言語は類似しているため他のスラヴ語を修得するのは比較的容易とされる。中世、キリスト教布教の時代には西スラヴ諸国は十字軍時代に西欧のローマ・カトリックに改宗しラテン文字[9]を導入、東方植民の影響でドイツのマクデブルク法を採り入れた。ロシアは南欧の正教会の布教の下に改宗しギリシア文字をもとに作られたキリル文字を使用している。法体系は、西スラヴ諸国はローマ法(西ローマ法)の影響の下で、正教会の社会は6世紀のローマ法大全由来のローマ法(ビザンティン法・東ローマ法)の体系を基礎として発展してきた。 中世に大国の1つであったリトアニアは、ドイツ騎士団の影響下でカトリック化した。 エストニアやラトビアも中世にはドイツ騎士団に征服されたカトリック地域(宗教改革によりプロテスタント)となったが、現在リトアニアと合わせたこれらバルト三国は中欧には含まれないこともある。また北欧とも関係が深く、北東ヨーロッパとも呼ばれる事もある。 バルト三国はソヴィエト連邦の構成共和国であったことから東欧に分類されていたが、1991年のソヴィエト連邦解体後は、地理的・文化的背景に基づき、北欧に含まれるという扱いが世界的には主流になりつつある。しかし、日本においては未だこのような新しい概念は浸透しておらず、バルト三国が東欧であると認識している者が多い。世界的にも、米国CIAは東欧、国連の行政は北欧に分類している(右図と左図を参照)。
バルト三国
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g h i j The World Factbook ? Central Intelligence Agency
^ 中欧(ちゅうおう)とは - コトバンク#百科事典マイペディア