中国残留日本人
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一方で樺太では、樺太庁長官・大津敏男の尽力により、残留孤児の発生は抑えられた[注釈 1]

満洲からの集団引揚げは1946年春から一時期の中断を含めて実施され、葫蘆島などの港から100万人以上の日本人が帰国したが、国共内戦が再開するにつれ、中華民国軍中国共産党軍徴兵されたり労働者として徴用された。日本人に対する過酷な支配によって通化事件などの虐殺も発生した。日本国政府は、のちに中国大陸に成立した中華人民共和国国交を結ばず、1953年に「未帰還者留守家族等援護法」を制定[1]して1958年に集団引揚げ終了し、1959年に「未帰還者に関する特別措置法」を制定[2]して残留孤児らの戸籍を「戦時死亡宣告」で抹消した。

日中国交正常化を機に、帰国していた肉親らは中華人民共和国に残留させた子供や兄弟の消息を求めて長岳寺住職山本慈昭周恩来へ書簡を送り、中華人民共和国でも残留孤児探しが開始されたが文化大革命周恩来の死去、日中両国政府の緩慢さなどから、1981年3月に初めて「残留孤児訪日調査団」47人が、以降1999年11月まで30回で2116人が、肉親との血縁関係確認に訪日した。
現在

2022年8月1日現在、永住帰国した中国残留邦人とその家族は20,911人である[3]。平均年齢は80歳[4][5]で高齢化が進んでいる[6]。神戸市は中国残留邦人のための共同墓地に土地を提供し、墓碑の建立費用は帰国者が負担する[7]。中国から帰国した日本人の団体としては、NPO法人「中国帰国者の会」などが存在する[8]
問題埼玉県 所沢市 
中国帰国者・定着促進センター

中国人として養育されており、日本語はほとんど身につけておらず、キャリアアップなど日本での社会適応能力に乏しく、帰国者の8割以上が生活保護を受けており、国や政府からの援助金や、ボランティア団体の寄付金などで生活をしている。社会から孤立[9]、高齢化など様々な問題が起きている。
社会からの孤立

介護保険等の福祉支援に対し言葉の壁から利用されないケースがあり高齢化した帰国者が家にこもりがちになるといった事が生じている[10]。老人ホームに入った後も日本語、日本の風習がわからず孤立する問題も生じている。これに対し中国語の出来るスタッフを配置する対策を取るなどしているが財政的に余裕がない状況である[11]
生活保護の不正受給

2010年に大阪で中国残留孤児を名乗る福建省出身中国人姉妹の親族ら48人が、訪日直後に生活保護申請して32人が受給していた[12][13]法務省大阪入国管理局は大阪市に在留資格の再調査を行うよう指示し[14]、大阪市は2010年7月22日に「生活保護受給を目的に入国したと判断できる」として、既に支給されていた26人の生活保護を打ち切り、審査中の2人も申請を却下した[15]。大阪入管の調査で、入国から3か月以内に生活保護を申請した中国人のうち8名が、申請書の職業欄に「生活保護」「無職」、扶養者欄に「区役所」と書いていたことが発覚した。元法務省入国管理局警備官の久保一郎は「中国残留邦人は人権がからむので特に審査が甘い。書類が揃っていれば、確認もろくにしないで自動的に許可していたのでしょう」と語った[16]

残留邦人の親族を偽り不法滞在して10年以上にわたり生活保護を不正受給する事件で、初めに残留邦人を偽り入国していた中国人は、本物の残留邦人の存在が判明したのちに帰国した[17][18][19][20]
偽残留日本人と斡旋ブローカーの問題

無関係の中国人を残留日本人やその親族として大量に入国させるブローカーが存在する。ブローカーは数百万円の手数料を受け取り、孤児の家族に謝礼を渡し、中国で戸籍・パスポートを偽造し、中国人を残留日本人であると偽り入国させる[21]

2005年9月に、中国陝西省に住む残留日本人女性が、同姓同名で同戸籍を持つ中国人がすでに日本に入国しているため、日本への帰国が認められないという件があった。この事例では、95年に残留日本人を騙る中国人女性と親族らが入国、その後女性は帰国したが、親族が生活保護を受給しつづけるなどして2007年に逮捕された[17][18]。この中国人女性の長男が、日本に入国するため中国人である母親に残留日本人を名乗らせ入国させたという[19]。逮捕されたブローカーはこの事例だけで57人の中国人を親族として入国させる計画だったという[20]

残留日本人と血縁関係があるとして来日したが、血縁関係を証明できず、両親が収容されその後国外退去になる事態も起きている。例として、妻が残留日本人の子を名乗って入国した奈良県在住の夫婦が、血縁関係を証明できず、大阪入国管理局が収容し、国外退去処分を言い渡し、両親は中国に強制送還された。日本に残された夫婦の子の2人の姉妹が在留特別許可を求め、2009年10月9日千葉景子法相が1年間の在留特別許可を認めた[22][23]

残留孤児の総計は2700人で、そのうち2476人が、及び残留婦人等の3775人が日本に帰国しているが、残留孤児の中国人の親族約19000人が日本の援助で来日し、更にその数倍の人間が自費帰国したといわれる。1人の孤児に数十人の中国人の「親族」がついてくる事も珍しくはない。

2005年には法務省により、残留孤児・婦人の親族呼び寄せ範囲が養子や継子にも拡大された。その結果、1人の残留婦人について中国人夫の連れ子7人と実子8人をはじめひ孫まで総数91人の「親族」が入国した例がある。このケースでは、夫の連れ子3人の親族が、過去に別の孤児の親族として相次いで偽装入国し強制送還されていた[24]
給付金訴訟

2004年福岡県で、残留孤児32人が、戦後に帰国の機会を奪われ帰国後も国が十分な支援をしなかったとして1人あたり3300万円(総額10億5600万円)の国家賠償を求め訴訟を起こした。孤児らは中国にいたので国民年金に加入しておらず、ほとんどが生活保護を受給していた。福岡の原告32人のうち75%が生活保護だった[25]

同様の訴訟は全国で行われ、2006年に永住帰国した孤児の約8割にあたる2201人が原告となり、全国15地裁、1高裁で係争する集団訴訟となった。原告団代表によると、残留孤児の七割以上が生活保護を受給していた[26]が、原告らは生活保護とは別の賠償を要求した。

2005年大阪地方裁判所は請求を棄却したが、2006年に神戸地方裁判所は、原告65人中61人について国の責任を認め、4億6860万円を支払うよう国に命じた。判決文では「拉致事件被害者への手厚い保護及び支援に比べて差別的である」と判断が示された[27]。2007年1月30日の東京訴訟では裁判所が請求を棄却、2007年3月23日、徳島地方裁判所も原告らの請求を棄却した。

当時の安倍晋三首相は、原告団と面会し、柳澤伯夫厚生労働大臣(当時)に新たな支援策の検討を指示、厚生労働省は基礎年金満額支給と生活保護に代わる特別給付金制度を提案した。


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