中国朝鮮関係史
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698年 靺鞨大祚栄が震国(後の渤海)建国[4]

713年 大祚栄が唐から渤海郡王に冊封される。

846年 弓福(張保皐)の乱。

958年 新羅が科挙制度導入。

10世紀初に唐が滅んだ後、渤海も滅び、高麗が新羅に代わる。高麗は渤海からの遺民を多く受け入れた。高麗は五代やに服属していたが、契丹)に攻められ遼に服属する。高麗は渤海が滅んだ後の地にいた女真を侵略して領土を北に広げるが、女真がを建て遼を滅ぼすと、高麗は金に服属する。

926年 渤海を滅ぼし、東丹国を置く[4]

933年 高麗が後唐の冊封を受ける。

963年 高麗がに服属[4]

993年 契丹の高麗侵攻 、高麗は遼に服属するが、江東6州を得る。

1010年 契丹が高麗の都である開京を占領。

1016年 高麗がまた宋の年号を使う[4]

1018年 契丹がまた高麗に侵入するが大敗する(亀州大捷)。

1022年 高麗が契丹の年号を使う[4]

1033年?1044年 契丹に備え千里長城を建設[4]

1080年 『小華集』。

1107年 高麗の尹?女真を侵略し東北九城を築くが、翌年に女真に返して撤退する。

1126年 高麗がに服属する[4]

モンゴルによる侵攻後

高麗は13世紀モンゴル帝国(元)の侵攻を受け支配下に入った。代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル貴族皇族婿となって元朝の宮廷で暮らし、父の死後、高麗王に任命されるのが習慣となる。高麗王の母は、みなモンゴル人となり、4代の高麗王は元皇帝の娘婿となる。元は高麗を服属させた後に征東等処行中書省(征東行省)を設置し、朝鮮半島全土に及ぶ行政・政治・軍事の執行機関とした。また元は朝鮮半島北西部に東寧府を、北東部に双城総管府を、済州島に耽羅総管府を置いて支配した。

高麗は、400年間にわたり「日和見主義[7]」「つねに長いものにまかれる式でやってきた[8]」「事実上モンゴル帝国の国内の一封建領主」となる[9]小島毅は、「元王朝の時代、韓国の高麗王朝はモンゴル帝国の属国」と評している[10]

1232年 モンゴルの高麗侵攻が始まる。江華島遷都

1258年 双城総管府

1259年 高麗の太子(のちの元宗)がフビライに降り、モンゴル帝国(元)の属国化。

1259年 蒙古に服属、太子、蒙古に赴く[4]

1260年 忠烈王は、大ハーンに即位したフビライの娘婿となる。

1363年 木綿伝来。

1270年 蒙古が高麗から慈悲嶺以北を奪い東寧府を設置[4]。高麗の完全植民地化。

1273年 三別抄の乱を元の力で鎮圧。耽羅総管府(?1290)。

1274年 文永の役元寇、中国の呼称:第一次元日戰爭、朝鮮の呼称:第1次日本遠征 ?1? ????

1278年 辮髮・胡服令。

1281年 弘安の役(元寇、中国の呼称:第二次元日戰爭、朝鮮の呼称:第2次日本遠征 ?2? ????

1287年 元の征東行省が常設され、元朝の領土化。

1289年 哈丹の寇により都を江華島に移す。

1290年 東寧府を高麗に返す[4]

1290年?1291年 哈丹の侵寇[4]

1302年 忠烈王元廷訪問、元室との通婚[4]

1325年 忠宣王、元に客死[4]

元が衰えると独立し、北方の領土を回復した。が興ると高麗に代わって親明を掲げる李氏朝鮮が建国され、明に朝貢した。当初は明から権知朝鮮国事とされ、国王にはしてもらえなかった。李氏朝鮮の国王は、中国皇帝がいる北京の方向に向かって遥拝する望闕礼という儀式を行っていた。李氏朝鮮は女真を侵略し、北部に領土を広げた。

1354年 恭愍王による反元運動が始まる。

1356年 元軍が高麗から撤退(双城総管府を回復)。元の年号を止める。江西八站を攻略[4]

1359年?1362年 紅巾の乱が高麗に侵入し、開京を占領。

1370年 明の年号を用いる[4]

李氏朝鮮の初代国王李成桂1392年、明が冊封した高麗王?王昌王恭譲王を廃位して高麗王位を簒奪して高麗王を称した後、すぐにに使節を送り、権知高麗国事としての地位を認められたが、洪武帝は王朝が交代したことで、国号を変更するよう命じた。これをうけた李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、朝鮮と和寧の二つの候補を準備し、洪武帝に選んでもらった[11]。和寧は李成桂の出身地の名であったが[11]北元の本拠地カラコルムの別名でもあったので、洪武帝は、前漢武帝にほろぼされた王朝(衛氏朝鮮)の名前であり、平壌付近の古名である朝鮮を選んだ。そして李成桂を権知朝鮮国事に封じたことにより、朝鮮は正式な国号となった。和寧が単に李成桂の出身地であるだけなのに対し、朝鮮はかつての衛氏朝鮮箕子朝鮮檀君朝鮮の正統性を継承する意味があったことから本命とされており、国号変更以前からそれを意識する儀式が行われていた[12]。国号が朝鮮という二文字なのは、中国の冊封体制に、新王朝の君主が外臣として参加して、一文字の国号を持つ内臣より一等級格下の処遇を与えられていることを意味する[13]

李成桂は、「権知高麗国事」を正式に名乗ったが、「知」「事」が「高麗」を囲んでおり、「権」は日本の権大納言権中納言と同じで「副」「仮」という意味であり、「権知高麗国事」とは、仮に高麗の政治を取り仕切る人という意味である[14]


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