地元の視線で書かれた記事も多く、特にマツダに関する報道が多い。また原爆(核兵器)や平和に関する記事でも高い評価を得ている[注釈 2]。なお、反暴走族の論調や暴力団追放キャンペーンでも知られている。さらに広島県には広島東洋カープ(プロ野球)、サンフレッチェ広島(日本プロサッカーリーグ)、広島ドラゴンフライズ(ナショナル・バスケットボール・リーグ)、JTサンダーズ広島(日本バレーボールリーグ機構)、湧永製薬ハンドボール部(日本ハンドボールリーグ)など地元に一流のプロスポーツチームが多数存在するため、スポーツ記事も充実している。
2005年11月には、廿日市市大野に中国新聞広島制作センター(通称「ちゅーピーパーク」)が完成し24個面フルカラー印刷が可能な輪転機を備えた。さらには、広島市のほか福山市、周南市の3本社体制で新聞の発行を行っている。2012年11月1日より、東京都中央区銀座にある広島ブランドショップ「tau(たう)」でも中国新聞とデイリースポーツ広島版を購入できるようになった。昼頃から販売される[6]。
2015年4月30日を以って91年続いた夕刊を休刊している[7]。販売地域が複数の都府県にまたがる地方紙、いわゆるブロック紙のレベルで夕刊を休刊するのは中国新聞が初めて[8]。同年5月1日には「第二の朝刊」と位置づける『中国新聞SELECT』を創刊した[9]。朝刊と同サイズのフルカラー16面構成で[1]、一部の夕刊の連載も引き継いでいる[注釈 3]。原則として火曜日から日曜日発行[9]。創刊当初は、朝刊と併せての配達のみだったが、2016年5月からコンビニエンスストアなどで1部売りを開始した[1]。
近年の発行部数に関しては、中国新聞社販売局調べで2017年が61万2,272部、2019年は58万3,208部、2020年が55万4,596部、2023年8月15日では50万3,804部[10]、2023年10月15日では49万8,369部[11]、2023年12月15日では49万4,260部[12]、2024年2月15日現在では48万7,981部[13]に推移している。
歴史中国新聞の題字(背景は厳島神社の大鳥居)
1892年5月5日 日刊「中國」として創刊。
1908年6月21日 紙齢5000号を機に、題字を「中國新聞」に改名。
1941年9月1日 傘下の呉新聞が芸備日日新聞を統合。
1945年8月6日 原爆投下のため、本社が被災。社員114名が犠牲となった[14]。朝日新聞社に代行印刷を依頼し、2日間休刊して同月9日から再発行。
1948年 中国新聞が呉新聞を統合。
1959年 新聞協会賞の編集部門で連載企画「瀬戸内海」が受賞。
1965年 暴力追放キャンペーンで菊池寛賞受賞。新聞協会賞の編集部門で連載企画「ヒロシマ20年」など一連の原爆報道が受賞。
1982年1月1日 紙面の文字を拡大し、1段15文字から13文字に移行。
1985年 新聞協会賞の編集部門で「ヒロシマ40年」報道が受賞。第二社会面の連載「ほのぼの」が「小さな親切運動」特別賞受賞。
1986年10月15日 新聞協会賞の編集部門で連載企画「シベリア抑留」が、経営・業務部門で「地域情報ネットワーク」がダブル受賞。
1987年 新聞協会賞の経営・業務部門で「ひろしまフラワーフェスティバルの創造と展開」が受賞。
1990年 新聞協会賞の編集部門で連載企画「世界のヒバクシャ」が受賞。
1991年5月7日 紙面の文字を拡大し、1段13文字から12文字に移行。
1992年1月1日 同年の創刊100周年を機に、“新”の字の偏を“立+未”から“立+木”に改める。
同年10月15日 新聞協会賞の経営・業務部門で「エリアデータベースの構築と活用?情報新時代の販売所経営」が受賞。