中国新聞
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

同年10月、社内で点検した結果、1,150箇所の異同があり、転記ミス等の事実関係の間違いや著者の意図に反する引用や解釈の誤りや一方的な記述、推測による描写があったこと、執筆者に思い込みや決めつけがあったにもかかわらず社内のチェックが十分ではなかったと発表した[23][24]。中国新聞では、御田が意図的な改竄は否定したことから、1,150箇所の『異同一覧』は大部となるものであったが、中国新聞は定期購読契約をしている図書館などに配布し、対外的にはこれで終了とした。

しかしその後、秦郁彦が月刊誌『正論1992年8月号に論考を発表し、御田から聞いた話として中国新聞内の調査で異同として取上げられた1,150箇所とは、「旧かな」を「新かな」に訂正したもの、ルビを新たにつけたもの、引用文献の間違いを正しく直したもの、校閲部の見落としまでカウントされていると指摘し、調査員が機械的に照合した1,150箇所という数字のインパクトに「シロウト」である編集部幹部が、高嶋らに全面降伏してしまったとのだとの秦自身の見解を主張した[20]。ただし、問題当時の毎日新聞記事によれば、中国新聞は、引用ルールの逸脱、一方的な記述、史実の混同等と細かく9項目に分類し、御田の説明を付けながら「改ざんの疑念を持たれてもやむを得ない」「明らかな事実誤認」などの表現で、著者の意図に反する引用や内容の改変を認めたとしている。これらは事件のお詫びや再発防止策とともに新聞紙面1ページ半にわたって中国新聞に掲載されたとする[25]

さらに、秦はおおもとの高嶋・林の抗議内容についても御田記者の連載は(林が原著で)書いていないことをさも書いてあるかのようにしている[26]などとするが、あら捜しか言いがかりのレベルであり、高嶋・林の『マラヤの日本軍』にも、シンガポール警備隊は昭南警備隊(原文では、シンガポール→昭南という表現)である、全面化としているが全面戦争化と書ねばならないはずといった例まで含めて実例を示し、同様な表記の問題はあるとし、むしろ密度は彼らの方が高いと擁護した[20][注釈 4]。高嶋・林側は御田の執筆内容には本質に関わる深刻な問題があると主張し、『正論』1992年9月号から11月号に双方の反論、再反論等が掲載された。御田自身は『諸君!』1992年9月号に事件の論考を載せている。なお、御田の他の連載『シベリア抑留』についても高嶋は御田が不明瞭と感じた部分を検証したものの、こちらについては「意図的な改ざんとは思わない」と認めている[25]

本来、この連載「BC級戦犯」は単行本化するはずで既に講談社と契約されていたが、この問題により発行は見合わされた[20]。代わるかのように、中国新聞社は1993年に取材班の取材による著作『亜細亜からアジア 共生への道』を出版している。
備考

1892年(明治25年)日刊「中國」を創刊したのは地方政党「政友会」の幹部である。これは、
広島藩藩主だった浅野氏が作らせた政党(立憲政友会とは無関係)で、彼らは1887年(明治20年)から発行していた政党機関紙「安芸津新報」を作っていたメンバーであったが、当時安芸津新報社社長との意見対立から退社し日刊「中國」を創刊した[27]

毎月1回(原則第2日曜日、1月1日元日10月体育の日)は新聞休刊日が設定されているが、5月5日こどもの日ひろしまフラワーフェスティバル(中国新聞社協賛)が開催され、その関連記事を載せるため中国新聞だけは休刊日ではなくなり、翌5月6日の朝刊も通常発行される。

中国放送(RCC)では、中国新聞協力のニュース番組として中国新聞ニュース(一部の時間帯は「RCC NEWS」)が放送されている。以前は、広島テレビ放送(HTV)や広島ホームテレビ(HOME)でも「中国新聞ニュース」枠が存在した。

池上彰は、本紙連載「ある勇気の記録」を書籍化したものがNETテレビ(現在のテレビ朝日)でドラマ化されたものを視聴し、ジャーナリストになることを決意したという。

マスコットとして、白ハトをモチーフにした「ちゅーピー」(上記の写真:備後本社および防長本社のビルの壁面に取り付けられているキャラクター)を制定している。ザメディアジョンが、「ちゅーピー」を扱った絵本やグッズの制作・販売を代行している。また、系列であり中国新聞社内に本社のあるコミュニティ放送会社も、愛称を「FMちゅーピー」に変更した。

中国新聞読者を中心とした会員組織として「ちゅーピーくらぶ」を用意している。会員は会員証の提示による加盟店での割引、ポイントによるサービス、カープサンフレッチェといった地元チームの試合結果をメールで通知するサービスなどを受けることができる。広島地区においては、広島銀行キャッシュカードに、「ちゅーピーくらぶ」の会員証と、パスピー(広島地区の鉄道・バス・船舶各社で利用可能なIC乗車カード)を一体化した「ひろぎんPASPY」が発行されている。また山口フィナンシャルグループの「YM《セゾン》カード」会員や、庄原市のふるさと応援団「エール庄原」会員、広島大学校友会「フェニックスクラブ」会員等の提携先会員組織の希望者には、「ちゅーピーくらぶ」会員証機能を持つ一体型会員証が発行されている。

山口県では、2009年3月31日まで本紙と西日本新聞本社福岡市)とで販売エリアがバッティングしていた。ブロック紙同士による販売エリアのバッティングは、全国でもここだけであったが、西日本新聞が山口県から撤退したことにより、山口県内では本紙が唯一のブロック紙となった[注釈 5]

2007年8月10日、中国新聞社の印刷センター「ちゅーピーパーク」が経営するプールで2歳児が溺死する事故が発生したが、翌8月11日の中国新聞朝刊33面には事故があったことのみを掲載し自社との関わりについては言及しなかった。なお、「ちゅーピープール営業中止のお知らせ」を掲載したが、営業中止の理由については触れなかった。

2008年9月1日福田康夫首相(当時)の退陣表明記者会見において、中国新聞の男性記者が「総理の会見が国民からは他人事のように聞こえる」と首相に問いかけ、それに対する返答として「他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:108 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef