中国文様史
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弱体化した漢は、西暦220年に三国に分裂し、その後の南北朝統一までの約370年間を六朝時代という[12]。この時代は、に分裂した三国時代西晋が50年ほど統一する時代、再び分裂し漢民族の南朝と異民族の北朝がそれぞれに興亡を繰り返す南北朝時代と実に目まぐるしく王朝が移り変わる時代であった[12]。このように社会的・政治的には混乱期であったが、芸術面では実りの多い時代であった[13]。この時代は、またインドから仏教が伝わった時代であった[1]。仏教は北魏などの文化的後進国で最初に信仰された[13]。北魏は江北の鮮卑族の王朝であり文化的にも後進国であったが、皇帝が一度仏教に帰依すると、敦煌莫高窟雲崗石窟龍門石窟などの石窟寺院が作られた[1][13]。やがて中国の神仙思想を背景とした文化と混ざり合い、蓮華唐草飛天などの文様が広く見られるようになった[1]。仏教美術はインドに限らず、ギリシャ・ペルシャ・エジプト美術の影響をも受けており、建築・彫刻・絵画・工芸のあらゆるジャンルに及ぶ総合芸術であった[13]。こうした異質な様式が、従来の神仙思想を背景とした中国美術に一気に合流することになった[13]

雲崗石窟の壁画

敦煌莫高窟・飛天(上部)

隋・唐時代

南北朝の混乱を統一した隋は中央官制を改革し、科挙による官僚登用の制度や均田制の実施など多くの改革を積極的に推し進めた[14]。しかし、その急激な変化に民衆の不安が増し、統一後わずか29年で後のの高祖李淵に滅ぼされた[14]。唐の時代になると、西方からサーサーン朝ペルシャの文化が流入し、活気のある国際的な文化になった[15]日本正倉院は、中国本土で失なわれてしまった唐文化の宝庫である[15]。これらからは、連珠文・花喰鳥文・双獣文・狩猟文・聖樹・有翼文などペルシャ系の文様が多くみられる[15]。また仏教とともに入ってきた唐草文のモチーフは、唐の時代には葡萄唐草・宝相華・海石榴華などに変化した[15]

唐三彩花文盤

唐三彩宝相華文盤

唐三彩宝相華文盤

宋・元時代

907年節度使朱全忠の謀反で唐が滅ぼされ、五代十国という群雄割拠の戦乱の時代に入った。960年北宋の太祖趙匡胤によって戦乱は平定され、次の太宗の時代に中国全土が統一される[16]。宋の時代は絵画の黄金期であり、文人画の影響で花鳥画山水画がひとつのジャンルになり、文様にも現れた[15]。また宋は陶磁器の黄金期でもあり、白磁青磁などが焼かれた[15]。宋の陶磁器は形と色の美しさを追求したために、文様は浅い浮彫などで控え目に表現されるが、周辺を飾る蓮弁文や牡丹唐草が文様として挙げられる[15]。しかし、磁州窯で焼かれた「黒花」と呼ばれる焼き物には、自由な筆致と創意あふれた多くの文様を見ることができる[15]。唐代以前の文様と宋代の文様を比較すると、宋の文様の特色が表れてくる[17]。唐代までは神仙の物語や説話、故実など物語を扱い、草花鳥虫を文様に扱うときも余白を飾るものとして形式的に使われていた[17]。しかし宋代になると描く対象を真実に表現しようとする態度が表れる[17]。宋以降に折枝文がよく描かれるのも、自然の感じを損なうことなく意匠とすることができるからである[17]。宋の時代は白磁・青磁に代表されるように形や色が洗練され、素文の美しさという一つの頂点を築いたが、その後、と時代が下がるにつれて再び文様の種類も増えて装飾過剰になっていく[18]。元・明・清はそれぞれに文化を担う民族が変化したのにもかかわらず、文様は断絶することなく受け継がれてひとつの流れとして発達した[18]。元時代は「青花」という青一色の染付陶器が焼かれ、文様の種類も飛躍的に増えた[15]。器の周辺部を飾る唐草文・波濤文・蓮弁文のほか、主文として山水・人物・花鳥・草虫・魚藻など幅広い文様が描かれるようになった[15]

北宋時代の錦

青磁花瓶(青磁下蕪形花生)、北宋

青花蓮池水禽文盤

青花瓜竹葡萄文盤 元 上海博物館

青花魚文稜花盤 大英博物館

青花龍文象耳大瓶・元

明・清時代

1368年には江南から起こったが、再び漢民族の王朝を建て、第3代永楽帝のときに首都を北京に移し、最盛期を築いた[19]。宮廷の祭器としてそれまでの金属器に代わり陶器が高い評価を得るようになった[19]。そのため景徳鎮には宮廷用の陶器を作らせるための官窯と、元様式を継承する民窯との2つの流れができた[19]。官窯では皇帝の印である龍と鳳凰の文様が圧倒的に多く使用された[19]。官窯の龍の爪は5本だが、民窯では爪の数を減じて3本とするなどの制約が設けられた[19]。また明代の陶磁器の大きな特色は「五彩」という色彩美である[19]万暦年間に焼かれた「五彩」は万暦赤絵の名で親しまれ、青花の上に赤・緑・黄色を置いて低温で焼き上げたもので、発色の美しさが目立つ陶磁器であった[19]。ただし「五彩」は色味の美しさを見せるためのものゆえ、文様の表現は「青花」に比べるとやや雑で崩れた感がある[15]文様は、龍や鳳凰の他に鶴・松竹梅・桃のような、様々な吉祥文や花鳥文が描かれた[15]

明の錦

五彩龍鳳文盤

青花龍鳳文盤(万暦


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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