中国放送
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

開局当初のスタジオ及び主調整室は当時の中国新聞社社屋の屋上に8畳ほどの広さの小屋が仮設され、局舎が完成するまでの間1年ほど使用された[19]


1954年(昭和29年)4月27日 テレビ放送局免許申請。

1956年(昭和31年)10月1日 ラジオの放送出力を3kWに増力。

1957年(昭和32年)10月22日 テレビ予備免許交付。

1959年(昭和34年)

2月1日 ラジオの福山中継局が開局する(ラジオとして初めての中継局。その後1960年(昭和35年)12月20日に三次中継局、1968年(昭和43年)12月20日に三原中継局が開局している)。

4月1日 テレビ放送開始(アナログ4ch、映像出力5kW、音声出力1.25 kW)。(NHK大阪教育テレビジョン札幌テレビ東北放送北日本放送四国放送高知放送熊本放送南日本放送と同日)開局当初はオープンネットで、ラジオ東京テレビ(KRT・現在のTBSテレビ)・日本テレビフジテレビ・日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)の番組から任意の番組をネットして番組を編成していた。

4月10日 ラジオ東京(KRT)テレビ制作の皇太子明仁親王(後の明仁上皇)結婚特番(成婚パレード)を放送。

8月1日 JNN(Japan News Network)に加盟。KRTテレビ(翌年11月29日からTBSテレビ)系列としての第1歩を記す。

10月1日 ラジオ本局の放送出力を10kWに増力。


1960年(昭和35年)12月 テレビの映像出力を10kWに増力。

1961年(昭和36年)

8月30日 ラジオ本局の送信所を広島市南観音町から佐伯郡廿日市町(現廿日市市)に移転。

10月19日 現在も使用している基町放送会館での業務を開始。


1962年(昭和37年)

9月1日 広島テレビ(HTV)開局により日本テレビフジテレビ制作番組の大半、日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)制作の番組の一部が同局に移行。ネット番組の殆どがTBSテレビ制作に。

10月1日 ラジオ本局の周波数を1350kcに変更。


1965年(昭和40年)

5月2日 JRN(Japan Radio Network)発足・加盟。

5月3日 NRN(National Radio Network)発足・加盟。


1966年(昭和41年)3月20日 カラーテレビ放送開始。

1967年(昭和42年)

4月1日 株式会社中国放送に改称。ラテ兼営局で正式社名に“ラジオ”を付けていた最後の局。

 「RCC15年のあゆみ 1952-1967」を発行(中国放送・編、32ページ)。


1970年(昭和45年)

 原爆関係のラジオ番組制作に対して、第7回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞[20]

10月5日 『オールナイトニッポン』のネットを始め、ラジオの終夜放送を開始(当時は第1部・第2部とも放送)。

12月1日 広島ホームテレビ(UHT→HOME)開局によりNETテレビ制作の番組の大半、一部残っていた日本テレビ・フジテレビの番組が同局に移行。


1971年(昭和46年)12月15日 ラジオ本局の放送出力を20kWに増力。

1972年(昭和47年) 「RCC20年のあゆみ」を発行(中国放送・編、72ページ)。

1975年(昭和50年)3月31日 関西地区のネットチェンジに伴い、朝日放送テレビ制作番組の大半が広島ホームテレビへ移行(但し、一部の番組はテレビ新広島(TSS)開局まで引続きRCCで放送)、毎日放送制作番組が同局及び広島テレビから移行し、既にRCCで放送されていた番組と併せて1本化される。

1976年(昭和51年)3月29日 広島地区初の夕方のローカルニュース番組『RCCニュース6』放送開始。

1980年(昭和55年)4月1日 テレビの音声多重放送開始。

1983年(昭和58年)3月 「RCC30年のあゆみ」を発行(「RCC30年のあゆみ」編集委員会・編集、83ページ)。

1990年平成2年)1月 CI導入により「中国放送」の和文ロゴを略称ロゴに準じたデザインの斜体から、太ゴシック体の上側を丸く加工したデザインに変更し、社章も丸の中に手書き文字風の「RCC」を斜めに配置したデザインからグレーの「RCC」の略称ロゴをベースにマゼンタとブルーの横長の長方形で挟んだデザインに変更した(2021年(令和3年)12月末までの社旗・デジタルテレビの局アイコンはこのデザイン)。一方「RCC」の略称ロゴは大きく変わらなかったが、角丸をなくすなど微調整して文字間隔を狭めたものになった[21]

1991年(平成3年)10月7日 福山支社(当時)が制作し、ラジオの福山・府中・三原各中継局だけで放送する朝のワイド番組『BINGO LIVE STATION 小川久志のきょうもいい朝』放送開始。この時から平日9:00?10:55について備後地区と広島・備北地区は別編成となる(その後土曜日午後にも別編成の時間が設けられたが2001年(平成13年)3月末をもって解消)。

1992年(平成4年)10月1日 開局40周年のこの日を期してラジオの広島本局のAMステレオ放送開始。

1993年(平成5年)4月1日 『中国新聞文字ニュース』をフィラーとして流すことでテレビの終夜放送を開始(2005年(平成17年)4月からは『TBSニュースバード』(現在の「TBS NEWS」)に切り替え)。

1994年(平成6年)10月2日 - 10月16日 第12回アジア競技大会広島をTBSテレビ主導の共同制作で民放独占中継し、系列局にもネットした[22]
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:391 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef