中国共産党中央委員会主席
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1968年第8期12中全会で劉少奇は党内外の全ての役職を解任されて党から除名された。また、ケ小平は党籍こそ維持したものの、やはり全ての役職を剥奪された。文化大革命で党や国家機構は麻痺したが、劉少奇とケ小平を失脚に追いやった毛沢東は、その目的を果たすと、党・国家機構の再建に乗り出した。毛は1969年4月の第9回党大会で党規約改正を行い、党中央書記処を廃止するとともに、党中央委員会主席の党機構・政府・軍に対する指導権を強化して専権体制を固めた。

1975年1月には憲法が改正されたが、この憲法では「中国共産党による国家の領導」が明記され、党政不分体制が確実なものとなった上で国家主席は正式に廃止され、国家主席が保有していた国務院総理首相)の人事提案権は中国共産党中央委員会(最終的には中央委員会主席)が、全国武装力(中国人民解放軍・中国人民武装警察部隊(武装警察)・民兵など)の統帥権は中国共産党中央委員会主席が行使することが憲法で明記された(これらの規定は1978年に改正された憲法でも定められた)。
毛沢東の死後

1976年9月9日、毛沢東は党中央委員会主席兼中央軍事委員会主席に在任のまま死去。同年10月7日、毛沢東夫人・江青四人組を打倒した華国鋒(当時、国務院総理兼党中央委員会第一副主席)が後任の党中央委員会主席兼中央軍事委員会主席に就任した。権力基盤が弱かった華国鋒は毛沢東から後継者としての委託を受けていたと主張し、権力を固めようとした。しかし、1977年7月の第10期3中全会で復活を果たしたケ小平が、1978年12月の第11期3中全会で華国鋒から中国共産党のトップとしての実権を奪った。華国鋒は党主席の地位に留まったものの、ケ小平によって権限を徐々に剥奪されていった。1980年2月の第11期5中全会で、第9回党大会以降廃止されていた党中央書記処が復活するとともに中央書記処総書記の職も再設置された。中央書記処総書記にはケ小平の信頼厚い胡耀邦が就任し、再び党首と党の日常業務の最高責任者が分離する体制となった。

華国鋒は結局、1980年に国務院総理を、翌1981年6月29日、第11期6中全会において党中央委員会主席兼中央軍事委員会主席を辞任した。後継の党中央委員会主席には胡耀邦が就任し、中央書記処総書記を兼務した。また、党中央軍事委員会主席にはケ小平が就任した。国務院総理にはやはりケ小平の信頼が厚い趙紫陽が就いており、ここにケ小平を中心とする指導体制が確立した。
党主席制の廃止

毛沢東が志向した党政不分体制は、その行き過ぎから経済の逼塞と政治の混乱をもたらした。そのため、ケ小平体制にとっては改革開放路線の障害となるものであった。そこで、党政不分体制の残滓を有する1978年憲法はケ小平体制において改正されることになり、中国共産党による国家の領導を定める一方で党政分業を志向した新憲法が制定されることになった。新憲法の制定を間近に控えた1982年9月の第12回党大会において党規約が改正され、中国共産党中央委員会主席は廃止された。そして、新たに党の最高職として中国共産党中央委員会総書記が設置され、同職が中央書記処を統括して党の日常業務の最高責任者となることが定められた。これに伴い、同年9月12日の第12期1中全会において、党中央委員会主席だった胡耀邦は党中央委員会総書記に就任し、党主席制は終焉を迎えた。
党主席制の復活論

シンガポール紙、ストレーツ・タイムズは2020年10月27日、中国共産党が2022年10月明日秋の中国共産党第20期全国代表大会(第20回党大会)および中央委員会第1回全体会議(1中全会)で、最高指導者が絶大な権限を持つ「党主席制」を復活させ、「党主席、国家主席党中央軍事委員会主席国家中央軍事委員会主席」等を統合吸収し、習近平党総書記が、就任する方向だと伝えた。複数の中国指導部に近い筋の話としている。第19期中央委員会第5回総会(中国語版)(5中総会)で、同紙はたたき台が水面下で討論されるとの見通しを示した。

同紙は、党主席の他に1?3人の党副主席を置き、現在7人で構成される最高指導部から政治局常務委員会は、5人ないし3人まで縮小されるとしている。「党主席制」については、これまで幾度も復活する可能性の観測が出ていた[5]
選出

党中央委員会全体会議における選挙で選出される。
職権

中国共産党中央委員会主席は、党の最高指導機関である中央委員会を主宰し、同委員会の活動を指導する。その他の職権について、第7期から第11期にかけて各期党大会で制定された中国共産党規約から、中国共産党中央委員会主席の職権に関する部分を掲出する[6]
第7期(1945年 - 1956年)

中国共産党中央委員会主席は、中央政治局主席と中央書記処主席を務める。

中央委員会は必要に応じて、組織・宣伝などの各部門、軍事、党機関紙などの委員会およびその他の活動機関を設置し、党中央の諸活動を処理する。その場合は、中央政治局、中央書記処、中央委員会主席の指導・監督を受ける。

第8期(1956年 - 1969年)

中国共産党中央委員会主席および副主席は、それぞれ中央政治局主席と副主席を務める。

第9期(1969年 - 1973年)、第10期(1973年 - 1977年)

中国共産党中央委員会主席および副主席、中央政治局常務委員会の領導の下、若干の必要な機構が設立され、党・政府・軍の日常業務を統一して処理する。

第11期(1977年 - 1982年)

第11期の党規約には中国共産党中央委員会主席についての具体的な職権は記されていない。
歴代主席

中国共産党中央政治局主席兼中央書記処主席

毛沢東1943年3月20日 - 1956年9月28日

中国共産党中央委員会主席

初代:張国Z1935年10月5日?1936年6月6日

第2代:毛沢東(1945年6月19日 - 1976年9月9日

第3代:華国鋒1976年10月7日 - 1981年6月29日

第4代:胡耀邦1981年6月29日 - 1982年9月12日

脚注[脚注の使い方]^ 毛里(2004年)、230 - 231ページ。
^ a b 毛里(2004年)、142ページ。
^ 毛里(2004年)、143 - 144ページ。
^ 毛里(2004年)、225ページ。
^ [1]
^ 党規約については、新華社の公式ウェブサイト「新華網」より、 ⇒中国共産党歴次全国代表大会のページに掲出されている各大会の「中国共産党章程」の項目を参考にした(2011年6月18日閲覧)。

参考文献

曽憲義
小口彦太編『中国の政治 開かれた社会主義への道程』(早稲田大学出版部、2002年)

毛里和子『新版 現代中国政治』(名古屋大学出版会、2004年)

関連項目

中国共産党

中国共産党中央委員会総書記

中国共産党中央委員会

中国共産党中央政治局

中国共産党中央政治局常務委員会

中華人民共和国の最高指導者一覧


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