年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
紀元前219年[16]始皇七刻石李斯小篆泰安博物館、中国国家博物館
紀元前221年以後[17]権量銘李斯小篆
紀元前227年 - 217年(推定)[18]雲夢秦簡不明古隷
『泰山刻石』(部分)
『権量銘』
漢
前漢詳細は「中国の書道史#前漢」および「中国の書家一覧#前漢」を参照
刻石年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
紀元前158年群臣上?刻石不明篆隷河北省邯鄲市永年区木鶏室
紀元前149年魯霊光殿址刻石(ろれいこうでんしこくせき)不明古隷
紀元前68年楊量買山刻石(ようりょうばいざんこくせき)不明刻石中最古の八分
紀元前56年魯孝王刻石不明古隷山東省曲阜市孔廟
紀元前26年?孝禹刻石不明古隷山東省博物館
群臣上?刻石(ぐんしんじょうしゅうこくせき、『趙二十二年刻石』とも)
前漢最古の刻石で、1行、15文字、1字の大きさが約10 cmの大字である。書風はほぼ古隷であるが、所々に秦篆に近い文字もある。文頭の「趙廿二年…」に諸説あったが、前漢の趙王遂の22年(紀元前158年)ということになった。道光年間に出土。縦125.0 cm、横30.5 cm[19][20]。
魯孝王刻石(ろこうおうこくせき、『五鳳二年刻石』とも)
文は宮殿の建造物が完成したことを記している。書風は隷書としては早期のもので、篆書の筆意が残り、古意が多い。「年」の字の末筆を特に長く伸ばしている点は、木簡などにも多く見られる。12世紀、曲阜の孔子廟の改修時に出土。3行13字。縦24.0 cm、横25.5 cm[21][22]。
?孝禹刻石(ひょうこううこくせき)
墓碑の先例と推測されている。円頭の長石に、「河平三年八月丁亥、平邑侯里?孝禹」と2行に刻している[23]。
魯孝王刻石
木簡年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
紀元前102年太初三年木簡(居延漢簡)不明
紀元前98年天漢三年木簡(敦煌漢簡)不明古隷
紀元前94年太始三年木簡(敦煌漢簡)不明八分
紀元前78年本始六年木簡(敦煌漢簡)不明古隷
紀元前57年五鳳元年木簡(敦煌漢簡)不明八分
紀元前46年初元三年木簡(居延漢簡)不明八分
紀元前29年建始四年木簡不明八分
紀元前28年河平元年木簡(楼蘭漢簡)不明八分
新詳細は「中国の書道史#新」を参照
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
9年嘉量銘不明小篆
14年天鳳元年木牘(敦煌漢簡)不明八分
16年?子侯刻石不明古隷山東省鄒城市孟廟
天鳳元年木牘(てんぽうがんねんもくとく)
兵器簿の見出し札で、木牘とは横幅の広い木簡のこと。『礼器碑』などの書風に近い洗練された隷書である[24]。
?子侯刻石(らいしこうこくせき)
塚墓を作ったことを記念し記した古隷で、古雅あまりある傑作である。「始建国天鳳三年…」に始まる35字を、7行の罫内に配している。山東省?県で発見された。縦45 cm、横70 cm[23][25]。
?子侯刻石
後漢詳細は「中国の書道史#後漢」および「中国の書家一覧#後漢」を参照
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
52年頃三老諱字忌日記(さんろうきじきじっき)不明古隷浙江省杭州市西?印社
66年開通褒斜道刻石不明古隷陝西省漢中市博物館
76年大吉買山地記(だいきちばいざんちき)不明古隷
92年以後袁安碑不明小篆河南省博物館
117年以後袁敞碑不明小篆遼寧省博物館
117年祀三公山碑不明篆隷木?室
118年嵩山三闕銘不明小篆
143年北海相景君碑(ほっかいけいしょうくんひ)不明八分山東省済寧市博物館
148年石門頌不明八分陝西省漢中市博物館
153年乙瑛碑不明八分山東省曲阜市・漢魏碑刻陳列館
156年礼器碑不明八分山東省曲阜市・漢魏碑刻陳列館
159年以後張景造土牛碑(ちょうけいぞうどぎゅうひ)不明八分
164年孔宙碑不明八分山東省曲阜市孔廟
164年封龍山頌不明八分
165年西嶽華山廟碑蔡??八分台東区立書道博物館ほか