中印戦争
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中印国境紛争(ちゅういんこっきょうふんそう、中国語: 中印?境?争、ヒンディー語: ????-??? ?????、英Sino-Indian War)は、1962年中華人民共和国インドの間で勃発したヒマラヤ地方での国境紛争である。別名は中印戦争。1951年に中国が資源の豊富なチベットを併合したため、以降からネパールやブータン、ミャンマー、インドは中国との国境が発生していた。この国境戦争ではインドはアメリカ合衆国に支援を要請したものの、中国側が勝利して領土を獲得した。インドは独立以降の非同盟主義・平和主義を放棄し、軍備増強する契機となった[3][4]
概要

1954年、中華人民共和国とインドの両国は平和五原則を発出し、以前から有った国境間の紛争の平和的解決を志向したが、1959年チベット動乱が起こった事でダライ・ラマ14世がインドに亡命し、中印関係は悪化。同年8月10月に両国の東部および西部国境で軍事衝突が発生した。ついで62年10月、中国人民解放軍は東部および西部国境で大規模な攻撃を行い、インド軍を敗走させたのち、もとの国境線に引き揚げた[1]

係争地域は西、中、東部の3地域があり、西部は中国の新疆ウイグル自治区アクサイチンとインドのラダック地区の間で、中国の建設した新疆・チベット公路があり、中国が実効支配している。中部はシプキ峠、マナ峠を含む中印国境地帯、東部はブータン東部の中国のチベット自治区とインドのアッサム州の間でマクマホンラインが実際上の国境となっている。中国側の発表によれば、紛争地域は合計12万5000平方キロメートル(以下キロと省略)にわたり、東部9万平方キロ、中部2000平方キロ、西部3万3000平方キロを占めている[1]

中印両国の基本的主張は、1950年代末から1960年代初頭にかけてのインドの首相であるジャワハルラール・ネルー中国の首相である周恩来との往復書簡、国境会談によって明らかにされている。西部では、インドは伝統的国境線はすでに存在し、全ラッダク地区はインド領であるとしているのに対して、中国は、国境線は未確定であり、全アクサイチン地区を中国領であると主張し、東部では、インドはマクマホンラインを国境線と主張するのに対し、中国は、1914年シムラ条約に当時の中国政府である中華民国は調印していないのでこれを認めず、国境は未確定であり、プラーフマ・プトラ川北岸を国境線と主張している。中部でも、マクマホンラインを国境とするインドと、これを認めないとする中国の主張は対立している[1]

1960年代後半の中国の文化大革命以後、両国の対立はさらに深まったが、1981年から関係改善と国境会談が行われ、1988年12月、ネルー訪中以来34年ぶりにインドの首相ラジーヴ・ガンディーは中国を訪問、平和五原則を再確認して中印国境問題解決のための合同グループの設置で合意した。その後1991年12月、中国の首相の李鵬が31年ぶりにインドを訪問、国境貿易の再開の協定に調印、1994年7月には中国の外相の銭其?がインドを訪問、インドの外相のラオとの会談で国境地帯の兵力削減には、さらに時間が必要との認識で一致した。2003年にはアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーが訪中し、包括協力宣言に調印。以降両国の経済協力関係強化や国境問題に関する話合いが進んでいる[1]
紛争後の経緯

中印国境紛争後、アクサイチン中国人民解放軍が侵攻、中華人民共和国が実効支配をするようになると、パキスタンもそれに影響を受け、1965年8月には武装集団をインド支配地域へ送り込んだ。

これにインド軍が反応し、1965年、第二次印パ戦争が勃発した。

なお、その後インドと中国の間で直接的な交戦は起こっていないが、中国によるパキスタン支援は、インドにとって敵対性を持つものであった。

2010年9月にはインドは核弾頭の搭載が可能な中距離弾道ミサイルを、パキスタンと中国に照準を合わせて配備すると表明した[5]
戦闘地域

主にカシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダックザンスカールバルティスターン、ブータンの東側東北辺境地区(英語版)(後のアルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい戦闘となった。
戦闘序列

1962年11月の衝突初期の両軍の戦闘序列
中国人民解放軍

西蔵軍区前線指揮

蔵字419部隊

第52師団

第154連隊

第155連隊

第157連隊


第11師団

第32連隊

第33連隊


第308砲兵連隊

第136工兵連隊

西蔵軍区基地指揮所

山南軍分区前線指揮所

第1連隊

第2連隊

第3連隊


林芝軍分区前線指揮所

米林大隊

墨脱大隊


昌都軍分区前線指揮所

第153連隊増強大隊

分区独立大隊

新疆軍区康西瓦指揮所

第4師団

第10連隊

第120砲兵大隊

工兵大隊

高射砲大隊

通信大隊


第2連隊

阿里支隊

第3騎兵連隊

第109工兵連隊第1大隊

インド軍

第4軍

第4師団

第7
旅団(4個大隊)

第4旅団(2個大隊)

近衛連隊第4大隊

第5旅団(8個大隊)


第114旅団(7個大隊)

現在

2003年アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相は中国を訪問し、中国はシッキムをインドの領土と承認する代わりに、インドはチベットを中国領と承認することで、江沢民中国共産党総書記と合意した[6]

2005年に、マンモハン・シン首相と温家宝首相の間で、「両国が領有を主張する範囲の中で、人口密集地は争いの範囲外」とする合意がなされ、両国にとって戦略上重要とされるアルナーチャル・プラデーシュ州、特にタワン地区は現状を維持している。

なお現在アクサイチンは中華人民共和国が実効支配している。日本学校教育地図帳では、両国主張の境界線を併記した上で地域は所属未定とする手法がとられている。

2010年9月2日、インド東部のオリッサ州政府は、同国中央政府国防関係者の談話として、同国が開発した中距離弾道ミサイル「アグニ2」(核弾頭の搭載が可能)の改良型実験に成功したことを発表した。

「アグニ2」の射程は2000キロメートルで、改良型の「アグニ2+」は2500キロメートル。

これまでにインド国防省関係者は「アグニ2」や短距離弾道ミサイルを、中国との国境地帯に配備するとしている[7]


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