1492年以降の植民地時代は、スペインとポルトガルの両国による絶対王権
によって統治された約300年間を指す。ラテンアメリカ地域の領有権の正当性は教皇によって与えられたものであったが、これを無視したオランダ、イギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンなどのヨーロッパ諸国はカリブ海域の多くの島々や大陸の一部を占領・支配した。19世紀初頭から現在に至る期間は独立国家の時代とされる。ナポレオン戦争でナポレオンが敗北して以降の1814年9月1日から1815年6月9日まで開催されたウィーン会議では1792年より以前の状態に戻すことと勢力均衡が原則とされた[11]。ウィーン会議以降の国際秩序をウィーン体制と呼び、1848年革命に崩壊するまでの時代を指す[12]。
ナポレオン戦争に勝利したオーストリア、ロシア、プロイセンの復古勢力は革命の再発を防ぐために、1815年にキリスト教的友愛による平和を提唱する神聖同盟を締結、さらに1818年にイギリスと敗戦国フランスを加えた五国同盟を締結してウィーン体制を確立した[12]。
スペインではナポレオン軍の敗北によりジョゼフ・ボナパルトは追放され、スペイン・ブルボン復古王政のフェルナンド7世が復位した。これに対して自由主義者リエゴが1820年にスペイン立憲革命を起こし、イタリアでもカルボナリ党がスペインを模倣してナポリ・ピエモンテで蜂起したが、革命の波及を恐れた五国同盟によって両者は鎮圧された[12]。他方で、1810年代から1820年代を通じてラテンアメリカ諸国が相次いでスペイン帝国からの独立を果たし、スペインは中南米植民地を失っていった。
1810年5月にブエノスアイレスが五月革命で自治宣言(1816年独立、1825年にアルゼンチンへ改名)。
1810年9月にメキシコ独立革命が始まった(1821年メキシコ独立)。
1811年にはパラグアイ共和国、ベネズエラ・アメリカ合衆国がスペインから独立した(ベネズエラ1821年6月独立)。
1816年7月にはラプラタ連合(現在のアルゼンチン)が独立した。
1818年にチリが独立した。
1819年にコロンビア共和国(大コロンビア)が独立。
1822年9月にはポルトガルからブラジルが独立した。
1823年12月アメリカ合衆国モンロー大統領は、独立したラテンアメリカ諸国に対して神聖同盟諸国が干渉すること、および西半球におけるヨーロッパの植民地拡大へ反対すると表明した[13]。さらに、1824年にペルー、1825年ボリビア(アルト・ペルー)が独立した。
また、1821年にはオスマン帝国からの独立を目指してギリシャ独立戦争が始まっている。露土戦争で連合軍に敗北したオスマン帝国は1832年ギリシャ独立を認め、列強はバイエルン王子オットーをギリシャ王オソン1世とするギリシャ王国を樹立した。
1830年のフランス7月革命に対抗してロシア、オーストリア、プロイセンが1832年10月に旧秩序維持を再確認したが、革命干渉を忌避したイギリスとフランスは真摯協商を結んだことでウィーン体制は分裂し、さらに各国での1848年革命によってウィーン体制は崩壊した[12]。 1929年の世界恐慌によって寡頭支配勢力の弱体化が起こり、ラテンアメリカ諸国は新しい政治・経済秩序を模索し始めた。民主化の波に飲み込まれ、それまで無視されてきた大衆と呼ばれる人々が政治に大きな影響を与え始めるようになっていった。 2011年11月24日、中南米各国で学生による「教育のための行進」が行われた。この行進はチリ大学生連合とコロンビアの全国学生拡大会議が呼びかけたもので、ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、エルサルバドル、パラグアイなどでもデモや集会が行われた[14]。直後の12月2日、植民地を除く全33ヶ国により、従前のラ米・カリブ首脳会議を発展させた「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体」が結成された。
20世紀
ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体