中京テレビ放送
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VHF7chとUHFを併願したが、関西テレビ(KTV、フジテレビ系列・VHF8ch)と混信の恐れのあることがわかり、UHFで開局することになった。出願各社は最終的に中京テレビ放送に一本化。

1967年(昭和42年)11月1日 - 予備免許交付[9]

1968年(昭和43年)3月1日 - 中京ユー・エッチ・エフテレビ放送株式会社設立。愛称を中京テレビ、略称をCTVとする。

1969年(昭和44年)

4月1日 - 日本テレビ系列とNETテレビ(株式会社 日本教育テレビ、現・テレビ朝日)系列のクロスネット局としてテレビ放送を開始。

同時にカラーテレビ放送を開始したが、同時開始は中京広域圏の民間放送初。全国では4番目。

当時のクロスネットについては、当該項を参照のこと。


10月1日 - 東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組ネットを開始。


1970年(昭和45年)

1月1日 - この年に発足したANNに、名古屋放送(当時)と共に加盟。

4月1日 - 中京テレビ放送株式会社に社名変更。


1971年(昭和46年)4月 - 早朝の放送を開始。それ以前には、編成の都合で午前9時前後から放送されていた。

1973年(昭和48年)

4月1日 - ANNとのクロスネットを解消し、日本テレビ系列のフルネット局となる。ただし1983年(昭和58年)9月にテレビ愛知が開局するまでの間、一部東京12チャンネル→テレビ東京系番組の放送も続けていた。

同時にNNN・NNSに加盟[10]

同時に、大阪の系列局がYTVに統一。

8月10日 - 「日本テレビ系5社協定[注釈 2]」が発効。中京テレビもその1社となり、日本テレビ系列における基幹局として位置づけられる[11]


1976年(昭和51年)4月11日 - 『お笑いマンガ道場』を放送開始( - 1994年(平成6年)3月末)。

1977年(昭和52年) - 2016年(平成28年)3月末まで使われたシンボルマークを制定。

1979年(昭和54年)

6月15日 - 音声多重放送の実用化試験放送のサービス放送を開始(在名局初)。

8月1日 - 音声多重放送の実用化試験放送の正式放送を開始(CBCテレビ、東海テレビ放送と同日)[12][13]


1996年平成8年)3月6日 - 中京テレビ公式サイトを開設[14]

1999年(平成11年)11月 - 『NNN24』(現・日テレNEWS24)のフィラー放送を開始、それ以降は終夜放送に移行。

2000年(平成12年)4月 - 局の新しいマスコットキャラクターとしてチュウキョ?くんが登場する。

2001年(平成13年) - 社名ロゴを、チュウキョ?くんの絵柄が入ったピンク色のロゴに変更。

2003年(平成15年)12月1日 - 地上デジタル放送の本放送開始。同時に、アナログ・デジタル統合マスター(主調整室)に更新。(東芝製)

2005年(平成17年)秋 - フリーマガジンチュッ!プレス』の発行を開始。

2006年(平成18年)4月1日 - 地上デジタル放送によるワンセグ開始。

2007年(平成19年)

3月21日 - 名鉄百貨店ヤング館1階に、中京テレビの番組グッズ取扱店・Chu!SHOPをオープン。

7月21日 - 新潟県中越沖地震の避難所(新潟県柏崎市)のテントに、「盗聴器と誤解されかねない無線集音マイク」を無断設置する不祥事を起こす[15]


2008年(平成20年)9月1日 - 著作権保護等の観点から、画面右上にチュウキョ?くんと「中京テレビ」のロゴが入ったウォーターマークの表示を開始(2014年(平成26年)4月より「中京テレビ 45th」の表示に変更、2015年(平成27年)3月30日より別の表示に変更。2022年(令和4年)現在は、「CHUKYO TV」のロゴを表示)。これにより、全ての在名テレビ局でウォーターマークが表示されるようになった。

2011年(平成23年)

5月11日 - ささしまライブ24地区に新社屋を建設することを公表。2016年度の竣工を目指す。

7月1日 - 子会社の「株式会社 中京テレビ映像企画」と「中京ビデオセンター株式会社」が統合、「株式会社 CTV MID ENJIN」を設立。

7月24日 - この日正午をもって地上アナログ放送を終了。23時58分、地上アナログ放送終了に伴う特別エンディングが当時のアナウンス部長である佐藤啓のナレーションで放送され、その後完全停波。地上デジタル放送に完全移行。


2015年(平成27年)12月7日 - 新社屋竣工。

2016年(平成28年)

4月1日 - ロゴを現在のロゴに変更。Cを図案化したマークと「CHUKYO TV」に変更。ブランドステートメントとして「あなたの真ん中へ。」を制定。同時に、和文ロゴとウォーターマークも一新。社名は変更なし。

6月12日 - ドラマプロデューサーの小松伸生が日本テレビ出身者としては初めて社長に就任[16]

11月20日 - 旧本社からの最終放送日。

11月21日 - 現社屋に移転。


2017年(平成29年)1月23日 - データ放送を活用したゲームコンテンツ「チュウキョ?くんランド」のサービスを開始[17]

2018年(平成30年)

7月19日 - アイデアクラウドと共同で、英語圏に向けたバイリンガルVTuberプロジェクト『Japanese HANJO! TV』を開始。同時にバイリンガルVTuberのキミノミヤがデビュー。

9月 - アイデアクラウドと共同で、VTuberアナウンサープロジェクトを開始。同時にVTuberアナウンサーの大蔦エルがデビュー。

10月1日 - アイデアクラウドとの共同出資によりXRエンターテインメント有限責任事業組合を設立。

10月 - ZIP-FMと大災害などの非常事態時の報道連携を発表。


2019年(平成31年・令和元年)

4月1日 - 開局50周年。

6月1日 - 元日本テレビ放送網専務執行役員の丸山公夫が社長に就任。

6月 - 岡崎支局閉鎖。


2020年(令和2年)3月27日 - 在名4局(東海テレビ放送CBCテレビテレビ愛知)と共同で在名民放局共同配信サービス『Locipo』開始[18]

2022年(令和4年)

3月14日 - 「NNS標準営放システム」サービス提供開始[19]

7月1日 - 株式会社中京テレビサービスを存続会社として、株式会社中京テレビ事業を吸収合併。同時に株式会社中京テレビサービスの商号を株式会社中京テレビクリエイションへ変更[20]

10月1日 - 本社ビルの使用電力を完全に、CO2フリー電気へ切り替える。[21]


社史・記念誌

中京テレビ放送では、以下の3冊を発行している(2020年1月時点)。

明日へはばたく 中京テレビ放送10年の歩み(中京テレビ放送・編) 1979年3月発行、45ページ。

中京テレビ放送 開局20周年史(中京テレビ20周年社史編纂委員会・編纂) 1989年4月発行、54ページ。

中京テレビ50年史 あなたの真ん中へ。(中京テレビ放送株式会社・編) 2019年11月発行、278ページ。

ネットワークの移り変わり「ネットチェンジ#中京広域圏(名古屋局)における名古屋放送(メ?テレ)と中京テレビ放送の「複合ネット」とその解消」も参照

1969年(昭和44年)

4月1日 - NETテレビ系列として開局。ただしクロスネットであった名古屋テレビがネット受けを行わない日本テレビ系列、NETテレビ系列の番組を編成する変則クロスネットを採用したため、不利な経営を強いられた。

10月1日 - 東京12チャンネルとネットを組む。このため、東京12チャンネルのネット局という位置付けになる。


1970年(昭和45年)1月1日 - 名古屋テレビとともにANNに加盟する。ニュースはANN。番組は日本テレビ系列、NETテレビ系列、東京12チャンネルの3系列が混在した編成となる。この年の4月以後、日本テレビが名古屋テレビのゴールデンタイム枠を確保するために協定を締結。日テレ系番組の同時ネットを行ったため、中京テレビのゴールデンタイム枠はNETテレビと東京12チャンネルの番組編成が主体となる。1972年(昭和47年)9月、名古屋テレビがその協定を無視して、NETテレビの番組を土曜日にネットすることを決定。

1972年(昭和47年)12月28日 - 同日を以て、日本テレビ系列のフルネット局となることが決まる。

1973年(昭和48年)4月1日 - ANNを脱退して、NETテレビの番組が放送終了。NNN・NNSに加盟して、日本テレビ系列のフルネット局として再出発した[10]。その一方で、東京12チャンネル(テレビ東京)系列の一部番組のネットを継続。

1983年(昭和58年)9月1日 - テレビ愛知の開局により、テレビ東京系列の番組が放送終了。

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[22][23][24][25]
概要

旧・東海銀行(現・三菱UFJ銀行)を中心とした名古屋財界の総意の下に設立された会社であり、2013年(平成25年)まで社長を務めた徳光彰二までの歴代社長は東海銀行出身者が就任していた[注釈 3]ほか、設立には中部日本放送(現・CBCテレビCBCラジオ 持株会社の子会社として運営)や東海テレビ放送も大きく関わっている。しかし、中日新聞社集中排除の原則から出資せず、新聞資本は開局以来日本経済新聞社が大株主に加わっていた。このため、テレビ愛知開局まではテレビ東京ともネットワーク関係にあった。初代社長はサンジルシ醸造の創業家一族で当時同社社長であった佐藤信之助が就任した。

その後の1973年(昭和48年)4月に日本テレビ系列に一本化された後も、読売新聞社(現・読売新聞東京本社)は引き続き名古屋放送(現・名古屋テレビ放送)への出資を継続する方針を採ったため、中京テレビには読売新聞の大株主としての出資が見送られた。日本テレビ系一本化からテレビ愛知開局までの期間である1978年(昭和53年)時点で、当時の日本テレビ社長・小林與三次と東京12チャンネル(現・テレビ東京)社長の中川順が中京テレビの取締役を務めていた。

テレビ愛知開局に伴う日経資本撤退の後は、主として日本テレビとその関連企業が大株主となった。その後、読売新聞グループ再編時に、一時的に読売新聞グループ本社が上位株主になったが、ごく短期間で日本テレビをはじめとした中京テレビの既存大株主に売却して今日に至っている。
2021年3月31日現在

資本金発行済株式総数株主数
1,056,000,000円1,152,000株33

株主株式数比率
日本テレビホールディングス254,900株22.13%
名古屋鉄道107,976株9.60%
日本テレビ音楽72,000株6.25%
名鉄不動産67,608株5.87%

過去の資本構成1978年3月31日現在

資本金授権資本1株発行済株式総数
4億8000万円16億円500円960,000株

株主株式数比率
新東昭開発94,640株9.85%
日本経済新聞社80,530株8.38%
大森茂(中京テレビ放送 専務取締役)72,000株7.50%
丸栄53,320株5.55%
名古屋鉄道53,320株5.55%
中嶋光夫28,800株3.00%
佐藤信之助(中京テレビ放送 取締役社長)26,680株2.77%
名鉄不動産26,660株2.77%
新日本製鐵26,660株2.77%
日本陶器26,660株2.77%
中部電力26,660株2.77%
大同特殊鋼26,660株2.77%
岡谷鋼機26,660株2.77%
日本碍子26,660株2.77%
金子嘉徳(中京テレビ放送 取締役会長)26,660株2.77%
舟橋一雄(中京テレビ放送 取締役)26,660株2.77%
服部良助(中京テレビ放送 取締役)26,660株2.77%
本多静雄(中京テレビ放送 監査役)26,660株2.77%
小菅弘正26,660株2.77%
1992年3月31日現在

資本金授権資本1株発行済株式総数株主数
10億5600万円16億円500円1,152,000株35

株主株式数比率
日本テレビ放送網115,200株10.00%
セントラルシステムズ115,200株10.00%
名古屋鉄道075,984株06.59%
小林與三次072,000株06.25%
名鉄不動産067,608株05.86%
2003年3月31日現在

資本金発行済株式総数株主数
10億5600万円1,152,000株32

株主株式数比率
日本テレビ放送網115,200株10.00%
ユーフィット115,100株09.99%
名古屋鉄道075,984株06.59%
日本テレビ音楽072,000株06.25%
名鉄不動産067,608株05.86%
2007年3月31日現在

株主比率
日本テレビ放送網10.0%
ユーフィット09.9%
名古屋鉄道09.3%
日本テレビ音楽06.2%
名鉄不動産05.8%
日本テレビ放送網文化事業団05.6%
丸栄05.5%
三菱UFJ銀行05.0%

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