両班
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李氏朝鮮時代の両班の身分を法令その他で定義したものは無く、朝鮮王朝の時代が下るにつれ様々な特権などを有し両班階級を構成したと考えられている。これらは、古い時代の部族の長や地主、高麗から朝鮮時代にかけて政治家を多く出した名門、優れた儒学者・ソンビを出した家などが次第に両班と呼びならわされ中人・常民と区別されるに至ったとする。

また、世襲の両班の嫡子は自動的に両班になる。中人は数代に渡り、高い地位に昇れば両班に格上げされる場合がある。常民が両班になるには、売官(官吏の地位を買う)もしくは両班の族譜を買う事になる。これらは李氏朝鮮後期、特に末期に増大する。

両班の身分は数代に渡り官吏を出せないとその地位を失うとされ、犯罪や政変などでも常民や賤民に落とされる場合があった(いわゆる没落両班)。ただ前者については時代が下る毎に形骸化し官吏の輩出の有無に関わらず身分は保証された他、両班の身分や偽の身分証の売り買いが横行したため実際は両班ではない自称両班もたくさんいた。
特権金弘道の絵より。農民の仕事ぶりを寝そべりながら眺める両班

李氏朝鮮時代の両班は、科挙の内、文科・武科を受けて官僚になることができた。中人は雑科のみが受けられ、高位に登る事ができない。常民は科挙を受ける権利を基本的に持たない。この区分は時代が進む内に整備されていったと考えられている。また兵役の免除、刑の減免、地租以外の徴税・賦役の免除。社会的特権として、常民に道や宿の部屋を譲らせる権利やその他、家・衣服・墳墓・葬礼などに対して常民に比べ、さまざまな権利を有していた[2][1]

封建制の不在のため、地方においては両班による中央からの自律的な支配や経済政策は見られなかったと言われている。下層民からの収奪に頼る度合いは大きかったという根拠としては、実際に朝鮮を訪れた外国人による著書のみであり、その時期は両班層が極端に増えている李氏朝鮮末期であることから、両班という身分だけでその消費生活を類推することは難しいとの見解もある。
外国人文献に見る具体的な描写

「朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけかき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」

「当時はひとつの道に44人の地方行政官がおり、そのそれぞれに平均400人の部下がついていた。部下の仕事はもっぱら警察と税の取り立てで、その食事代だけをとってみても、ひとり月に2ドル、年に総額で39万2,400ドルかかる。総員1万7,600人のこの大集団は『生活給』をもらわず、究極的にくいものにされる以外なんの権利も特典もない農民から独自に『搾取』するのである。」 ? イザベラ・バード朝鮮紀行

「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」

「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」

「両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、自ら金銭を得るために様々な手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には金が無いと主張する。」

「すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎとる。のちに守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。」 ? マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』
脚注[脚注の使い方]^ a b c “ ⇒コラム アンニョンハシムニカ!・・・南北の両班 大宅京平,北朝鮮難民救援基金 NEWS May 2015 094”. 大宅京平. 2018年8月28日閲覧。
^ a b c “コラム アンニョンハシムニカ!・・・南北の両班 大宅京平” (日本語). HuffPost Japan. (2017年2月17日). https://www.huffingtonpost.jp/lfnkr/korean-caste-system_b_14787636.html 2018年8月27日閲覧。 
^[1]韓経:【コラム】韓国人の士農工商DNA(1)
^[2]韓経:【コラム】韓国人の士農工商DNA(2)
^ コラム アンニョンハシムニカ!・・・南北の両班
^ 文班と武班の区別あり、又文班を東班と称せり、武班を西班とも称し、是れ朝儀に際し文班が東に列し、武班は西に列しが為なり。(『支那満洲朝鮮案内』 、東洋協会、27頁)

参考文献

イザベラ・バード朝鮮紀行講談社

今村鞆『朝鮮風俗集』斯道舘、1914年11月20日。NDLJP:1848683。 国書刊行会、1975年

Gregory, Henderson, Korea, the politics of the vortex, Cambridge : Harvard University Press, 1968;

グレゴリー・ヘンダーソン 『朝鮮の政治社会 - 渦巻型政治構造の分析』 鈴木沙雄・大塚喬重訳、サイマル出版会、1973年。


宮嶋博史 『両班 - 李朝社会の特権階層』 中央公論新社〈中公新書〉。ISBN 4121012585

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