両国駅
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後に列車ホームは電化された。

次の大きな転機となったのは、1972年(昭和47年)7月15日の総武本線複々線化である[7]。東京駅から錦糸町駅までの地下線で総武快速線が建設され、総武線の快速列車が東京駅へ直通するようになった[7]183系の特急がこの時より完成した東京地下駅から総武線、内房線、外房線に乗り入れを開始する。この線路は当駅構内の北側を通過してはいるが、急勾配及び急カーブ区間であることから、当駅にホームは設けられなかった[7]。これにより総武快速線の列車は当駅に停まらなくなった[7]。貨物営業も近隣の越中島駅などへ集約されることになり、物流拠点としての役目を終えた。この時点ではまだ房総方面への急行列車の一部など両国駅発着で残存していた[注釈 1]が、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正により房総方面の急行列車[注釈 2]は全廃され、特急「しおさい「あやめ」「すいごう」が1日1往復だけ当駅に発着する状態となった[9]1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正でしおさい・すいごうが、1991年(平成3年)3月16日のダイヤ改正であやめの発着も終了し、当駅は総武線各駅停車のみが停車する駅となって、現在に至っている[9]

一方、東京で進んでいた地下鉄網整備の中で、両国地域を通る路線は長く開業していなかったが[注釈 3]、2000年に都営大江戸線の駅が開業し、両国から地下鉄の利用が可能となった。

亀沢町高架橋を行く総武鉄道の列車(1906年頃)

関東大震災で被災した両国駅構内

1929年に完成した両国駅舎(全体)と初代の両国駅舎(右上)

1935年のホーム

年表

1904年明治37年)

4月5日:総武鉄道のターミナル駅として開業[1][10]。当時は両国橋駅(りょうごくばしえき)と称す[10]。また、東武鉄道の列車も亀戸線経由で当駅に乗り入れ、東京側のターミナルとした[10]

9月1日:貨物営業開始[2]


1906年(明治39年)8月19日:本所までの区間が複線化[1]

1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道の鉄道国有法に基づく国有化で、国有鉄道の駅となる[3][10]

1910年(明治43年)3月27日:東武鉄道の浅草駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)の営業再開により、東武鉄道の列車の乗り入れを廃止[3][10]

1923年大正12年)

9月1日:関東大震災で被災、駅舎焼失[3][10][11]

10月9日:震災の被害を復旧し、運転を再開[3][10]


1929年昭和4年)12月30日:現西口駅舎使用開始[3][11]

1931年(昭和6年)10月1日:両国駅に改称[5][10][11]

1932年(昭和7年)7月1日:御茶ノ水駅までの電車線開業[5][10][11]

1958年(昭和33年)7月10日:準急「犬吠」運転開始[7][10]

1969年(昭和44年)

8月20日:当駅発勝浦行き客221レ蒸気機関車による最終運用[7]。これを最後に東京都23区内発着の蒸気機関車牽引による客車列車が全廃(その後も貨物列車は翌年度まで存続)[7]

10月1日:貨物配達取扱を廃止。


1970年(昭和45年)7月1日:貨物営業廃止[11]


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