丙午
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坂口は、1954年随筆でこの迷信はなかなか無くならないだろうと予言し[11]、実際1966年もその通りになった。
1966年1950年から2008年までの日本の出生率(赤)。丙午の年に当たる1966年の出生率が極端に低くなっている。

この迷信は昭和になっても依然根強く、1966年(昭和41年)の出生率は前年に比べて25%下がった[12]。子供をもうけるのを避けたり妊娠中絶を行ったりした夫婦が地方や農村部を中心に多く[注 1]、出生数は136万974人[14]と他の年に比べて極端に少なくなった。一方で前年(182万人)および翌年(194万人)の出生数は増加している[7]

1966年に生まれた子供は少なかったことから、この学年度(翌1967年の早生まれを含む人口は約160万人[15])の高校受験大学受験が他の年より容易だったのかについては当時からしばしば論じられた話題であったが、大学一般の入学率については有意な差がみられないものの、国公立大学への進学率は1985年に上昇した[16]。またこの年の子供は第一子(初めての子供)率が50.9%で統計史上過去最多であった。

一方で、日本の地方自治体の中には丙午の迷信に対する取り組みを行う自治体があった。1965年11月には山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけた。同法務局によると、子どもを産む産まないで、離婚調停に至ったり、近所から嫌がらせを受けたなどの相談が多発したためである[17]。また、群馬県粕川村(現・前橋市粕川町)でも、村長主導で「迷信追放の村」を宣言して、同様の運動が行われた。村役場が1906年とその前後の年に誕生した女性1400人を調査して、丙午には根拠がないことを広報するなど取り組んだ[1]福岡県久留米市は、1966年最初の広報紙で丙午を「むかしむかしのおとぎ話」「昨年は二人目のノーベル賞受賞者を出した科学日本に、もっともふさわしくない、まことに奇妙な風習」「童話の世界」と強い語気で否定した[18]

2023年(令和5年)に大阪教育大学を卒業した学生が、卒業論文の一環で1966年生まれの女性に行ったアンケートでは、回答した142人の半数弱に気性が荒いと決めつけられた経験があり、言動の大半が母や祖母などの女性からのものだった。また、出生数の少なさや結婚できないという偏見から、嫌味を言われたり、厳しくしつけられたと述べた人もいた。しかし、丙午なら結婚や出産を避けるべきかという質問に賛成したのは1%にすぎず、丙午に否定的な印象を持つ人は殆んどいなかった[19][注 2]
2026年

次回の丙午は2026年であるが、世界銀行はこのトレンドは継続しないと予測している[20]
丙午の月

西暦年の下1桁が2・7(十干が)の年の5月が丙午のとなる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月芒種から小暑の前日まで)を適用する場合もある。
丙午の日
選日

丙午の日は天一天上の14日目である。また、土以外の比和では唯一八専に含まれない。
四柱推命

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}四柱推命で注意を要するのは「丙午年生まれ」でなく「丙午日生まれ」で、「戊午日生まれ」や「壬子日生まれ」と共に十二運が最強の帝旺、宿命星日刃がつき、男女とも異常なまでに強い性格となり結婚相手との間に支障をきたしやすいとされる。男性はワンマンな亭主関白、女性もカカア天下で、家長になるべき夫の面目丸潰れになることから「夫を食い殺す」などの迷信が生まれたものと推測する。[要出典]
脚注^ 統計上も人工中絶が多いことが報じられた[13]
^ 丙午出身である酒井順子は、丙午生まれであることで嫌な思いをしたことがないとした上で、「私たちは「丙午に生まれても心配なく生きていける」という“壮大な実証実験”をしたようなもの」と述べている[19]

出典^ a b 「〈昭和史探訪〉Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村」 2010年12月18日付『朝日新聞』 夕刊(web版:“昭和史再訪セレクション Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村”. 朝日新聞. 2012年1月23日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2012年2月13日閲覧。
^ 東京消防庁・消防雑学2012.9.20閲覧
^江戸東京たてもの園・2007年初春の雅2012.9.20閲覧
^ 井原西鶴 原著、吉行淳之介 現代語訳『好色五人女』河出書房新社、1979年、pp.66-86
^ サライ責任編集『十代目桂文治』昭和の名人完結編、小学館、2011年、pp.11-12および付属CD「八百屋お七」
^ 竹野 静男「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』vol.32、日本文学協会編集刊行、1983年、p.11
^ a b c d 松浦國弘「「丙午生まれ」の悲劇 迷信で命を絶った女性たち」溝口常俊・編『愛知の大正・戦前昭和を歩く』風媒社 2023年 ISBN 978-4-8331-4308-0 P.150-153
^ 高橋眞一「明治大正期における地域人口の自然増加と移動の関連性」『國民經濟雜誌』187巻4号、神戸大学、2003年。


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