平安時代、藤原北家の良房が天皇の外祖父として人臣初の摂政に任官、養子の藤原基経が最初の関白となり、その子孫の諸流のうち外戚の地位を得た者の間で摂政・関白の地位が継承されるようになると、この家系はやがて摂家と呼ばれるようになる。平安時代の中期には、道長・頼通父子で合わせて内覧・摂関を72年にわたり担当すると、道長の嫡流子孫である御堂流が摂関を継承することが当然視されるようになる。これ以降、摂政・関白は常設の官となり、安土桃山時代の豊臣氏関白2名を除いて、藤原道長の子孫(御堂流)によって独占的に世襲された。鎌倉時代中期にその子孫は五摂家に別れたが、公家の最高家格はひきつづきこの五家が独占した。 鎌倉幕府では、執権職が北条得宗家によって世襲された。室町幕府、江戸幕府では、征夷大将軍職を将軍家の男子が代々世襲した[1]。 官途の世襲に関しては、これが武家を含んだ支配階級一般の習慣となり、イエごとに固定化の様相を呈するのは室町時代中期(足利義満期以降)とされる[2]。 芸能人も二世タレントと呼ばれるような親子で同業に就く、もしくは同じ芸能界に入る例がある。これには親の知名度や人脈を生かして知名度を上げる効果がある。市川右太衛門・北大路欣也、上原謙・加山雄三、阪東妻三郎・田村三兄弟(田村高廣・田村正和・田村亮)、堺駿二・堺正章、宇野重吉・寺尾聰、高島忠夫・高嶋兄弟(嶋政宏・高嶋政伸)、間寛平・間慎太郎、笑福亭鶴瓶・駿河太郎、三國連太郎・佐藤浩市、大塚周夫・大塚明夫、潘恵子・潘めぐみ、井上喜久子・井上ほの花などの例が知られる。ただし中川勝彦・中川翔子、浜田雅功・ハマ・オカモト、藤圭子・宇多田ヒカル、古谷一行・降谷建志(Dragon Ash)のように当初は親子関係を秘しており、子の知名度が上がってから親が有名芸能人だったことが知られることもある。 相撲は親が横綱でも有利なことは全くないが、特殊な世界であることなどから、日本の他のスポーツに比べると二世力士が多くなっている[注釈 3]。相撲部屋でも親方の実子が関取になれば普通部屋継承者となるし、そうでなくとも親方の娘と結婚した関取が親方の養子となって部屋を継ぐことはよくあることである。 プロレスでもザ・ファンクス、エリック一家をはじめとして二世レスラーが数多く存在するが[注釈 4]、これはプロレスが団体経営者にとって家業であり、通常のスポーツよりも芸能的である影響が強い。前出のファンクスやエリック一家のように親の必殺技を継承する例もある。二世レスラーの一人である元NWA王者テリー・ファンクは、ライバルのハリー・レイス(二世ではない)の自伝に「二世レスラーは全米のプロモーターが自分の親を知っているのだからそうでない者より有利」とのコメントを寄せている。このコメントは前記の「人脈や職務上必要とされる知識といった無形の財産をひきつぐ上で有利」に該当するものといえよう。また、アメリカWWEやメキシコCMLLは経営者の世襲による継承が行われている。 日本プロボクシング協会ではボクシングジムの(名義変更料等なしでの)継承を原則一親等以内のみと規定しているため、帝拳ボクシングジムの本田明彦や協栄ボクシングジムの金平桂一郎などジムオーナーを世襲する例も多く、また、ジムの継承をスムーズにするべく後継者候補を二世ボクサーにすることもあり、引退後に父から福岡ボクシングジムを継承した越本隆志がその代表例である。海外ではレオンとコーリーのスピンクス親子などの親子世界チャンピオンも誕生している。日本では親子世界チャンピオンは未だ誕生していないが、元プロボクサーの父親が自身の成し得なかった世界チャンピオンを二世ボクサーである息子に託してそれが成就することもあり、前出の越本の他に、長谷川穂積、粟生隆寛、井岡一翔、寺地拳四朗がこれに該当する。メキシコに本部を置く統括団体世界ボクシング評議会WBCは38年間WBC会長を務めていたホセ・スレイマンの四男マウリシオ・スライマンが満票(26票)を集め、2014年新会長に選出された。 囲碁のタイトル戦の元祖である本因坊位は、かつての世襲制の家元が名跡を譲ったものである。現在の本因坊位は子に引き継ぐことはできず家元にもなれない。 棋士の子息が棋士となる例は多く、羽根泰正・直樹の親子タイトルホルダーを始め、関山利一・木谷實・藤沢秀行・小林光一・武宮正樹らのトップ棋士の子や孫がプロ棋士になっている(小林は木谷の娘の女性棋士と結婚したので、小林の子は木谷の孫でもある)。棋士として大成しなくとも囲碁道場を開きレッスンプロとして親の顧客を引き継ぐことができる。一方で緑星囲碁学園や洪道場のような一般人を受け入れる囲碁道場があることや、院生以外もプロになれるため、親が棋士ではないタイトルホルダーも多く存在する。 将棋界には、江戸時代には世襲制の将棋家元があったものの、現在、タイトルホルダーの子のプロ棋士は木村義雄十四世名人の子の木村義徳しかいない。 日本の神道においても神職(社家)の世襲があるほか、儒教や道教、イスラム教で孔子・張魯・ムハンマドといった宗教が創始された時期の指導者の子孫が尊敬を集める現象があり、ウラマーなどの地位も世襲されることもある。 キリスト教や仏教などの中で、聖職者の妻帯を禁じている教派、宗派では原理的には存在しない。ただしルネサンス期におけるカトリック教会ではネポチズムが蔓延し、高位の僧侶が実子を甥という形で引き立てる例も多かった。モンテネグロではツェティニェの主教公をペトロヴィッチ=ニェゴシュ家
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脚注[脚注の使い方]
注釈^ 大日本帝国時代の歴代内閣総理大臣で、平民家系といえる者は清浦奎吾、濱口雄幸、広田弘毅の3名であり、出自によって爵位を得たのは西園寺公望・近衛文麿の二名、皇族の東久邇宮稔彦王。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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