世襲貴族
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近世・近代の世襲貴族の急増女王エリザベス2世ハロルド・マクミラン。マクミランを最後に臣民への叙爵は途絶えている。

中世末から16世紀のテューダー朝まで世襲貴族の数は概ね50家に留まっていた。しかし17世紀ステュアート朝が王庫の金欠から爵位を間接的に「売り」に出したために最初の爵位乱発が発生した[19]。これにより17世紀末までに上院世襲貴族の数は170家に増加した[20][21]

つづいて18世紀に成立したハノーファー朝は爵位乱発の傾向を一層強めた。上院世襲貴族の数は18世紀末までに270家、1830年代には350家、1870年代には400家、1885年には450家と急増の一途をたどる[20]。近代に入って貿易や商業で財を為した成金が貴族に列せられることが増えたためである。その彼らも100年、200年と時がたつと由緒ある伝統的貴族として君臨しているようになる[22]

20世紀に入ると非保守党系の首相たちが貴族院の保守党偏重状態を緩和しようとして更に爵位を乱発させた。とりわけ1916年から1922年まで首相を務めた自由党デビッド・ロイド・ジョージ(後の初代ドワイフォーのロイド=ジョージ伯爵)は91の爵位を、1945年から1951年まで首相を務めた労働党クレメント・アトリー(初代アトリー伯爵)は98の爵位の新設を上奏している。その結果、貴族院改革があった1999年時点で世襲貴族家は750家にも達していた[23]

しかし1958年に一代貴族法が成立し、一代貴族制が誕生すると新規の世襲貴族叙爵は減少した。1984年に元首相ハロルド・マクミランストックトン伯爵に叙されたのを最後に臣民への世襲貴族叙爵は途絶えている(王族への叙爵はその後もある)。
爵位について

世襲貴族の爵位は創設時に応じてイングランド貴族スコットランド貴族グレートブリテン貴族アイルランド貴族連合王国貴族の別があり、それぞれ公爵(Duke)、侯爵(Marquess)、伯爵(Earl)、子爵(Viscount)、男爵(Baron)の5等級から成る(スコットランド貴族の男爵位は貴族ではなく、スコットランド貴族の最下級の爵位はロード・オブ・パーラメント(議会の卿)である)[24]

ただし唯一の例外として、カナダケベック州の土地を領地とするロンゲール男爵のみに関しては、英国君主がフランス王家によって創設された爵位と認めて[25]、英国貴族の枠組みに取り込む形をとっている。

イギリス貴族の爵位は日本華族の爵位のように公爵や伯爵という肩書を単独で与えられるのではなく、「ノーフォーク公爵(Duke of Norfolk)」(フィッツアラン・ハワード家)、「ダービー伯爵(Earl of Derby)」(スタンリー家)といったように称号名の一部として与えられる。称号名は地名が一般的だが、家名(姓)と同じ場合もある(例:スペンサー伯爵ロスチャイルド男爵[26]
爵位継承について

兄弟全員が継承できる大陸の爵位と違って、イギリスの爵位は常に一人だけが相続する。爵位は終身であり、原則として生前に譲ることはできない(例外として繰上勅書がある。これが出されると従属爵位の一つが法定推定相続人に生前移譲され、法定推定相続人も貴族院議員に列する)。爵位保有者が死去した時にはその爵位に定められた継承方法に従って爵位継承が行われる。したがって爵位保有者が自分で継承者を決めることはできないし、養子を取ったとしても爵位継承順位には影響を及ぼさない[27][28]。該当者がなければその爵位は消滅する[28]

またかつて爵位継承を拒否することはできなかったが、貴族院が庶民院に対して劣後していく中で貴族に庶民院議員資格がないことが問題となり、1963年貴族法が制定されて爵位継承から1年以内(未成年の貴族は成人後1年以内)であれば自分一代に限り爵位を放棄して平民になることが可能と定められた[29]

勅許状によって創設された爵位は大半が継承方法として「初代の直系の嫡出の男系男子」と定めており[30]、この場合は女子や初代前に遡った分流、非嫡出子は継承し得ない。英国貴族の大半は20世紀中に爵位を受けた新興貴族であるが[31]、これは男系男子のみに世襲される爵位が大半なので、男子相続人を欠いて絶家する例が多く、長期にわたって存続するのが極めて困難なのが原因である[32]。中世から貴族であった家で現存しているのは数えるほどしか存在していない[33]

ただ、爵位によってはそれと異なる継承方法の特別継承者(Special remainder)の規定が定められた爵位もあり、その場合はその継承方法に従う。したがって特別継承者の規定で継承が規定されていれば、女子も爵位を継承しえる[34]

また議会招集令状(英語版)によって創設された古いイングランド貴族男爵位は継承方法が定められていないため、当時のイングランド相続法に従って男子なき場合に女子が継承する[30][34]。ただし、この場合は姉妹全員が共同相続人となるため(長女が次女に優越しない)、姉妹やその系統がある場合には爵位継承者を決められなくなり、その爵位は停止 (abeyance)となる[34]。停止後時代がたてばたつほど、姉妹の子孫がどんどん増えていくため、停止状態の解除は難しくなる[34]。そのため議会招集令状による男爵位は多くが停止状態になったままになっている[35]。停止状態となった爵位は権利のある者が国王に申し立てを行い、手続きを経れば継承できる。327年に及ぶ停止を経て1921年に継承が行われたストレンジ男爵や440年に及ぶ停止を経て1903年に継承が行われたフォーコンバーグ男爵(英語版)のような事例も存在する[34]

また古いスコットランド貴族の爵位(特にイングランドと同君連合になる前の爵位)は、男子なき場合に女子(長女優先)が継承できるのが通例である[34][36]

しかし女性本人が爵位を持つことは極めて稀である。1880年時の580人の世襲貴族中「自らの権利として爵位を持つ女性貴族(peeress in her own right)」は7人に過ぎなかった[37]

貴族が蒸発して生死不明になった場合は、裁判所の死亡宣告を得ることで爵位継承が認められる。近時の例では1974年に第7代ルーカン伯爵ジョン・ビンガムが、別居中の妻の家で子供たちの乳母サンドラ・リベットが殺害された後に失踪してリベット殺害の容疑がかかったが、その後ずっと行方不明になっている件について、息子のジョージ・ビンガム(英語版)がロンドン高等法院に父の死亡認定の申し立てを行い、2016年2月3日にロンドン高等法院から認められたことで第8代ルーカン伯爵位を継承している[38][39]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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