世襲政治家
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政治家一家は子どもが生まれた時から選挙に出ることを想定しているためか、自書式投票である日本においては難しい漢字を用いた読みにくい名前は極力避けられ、平易な漢字で多くの人が読みやすい名前をつけたり、名前の一文字を共通させる(通字)など親子関係がはっきりとわかる名前をつける例が多い[3]。中には立候補の際に先代の名前に改名する例もある(例: 岡田春夫山村新治郎中村喜四郎)。

古くからの名家の子孫が当該地域から立候補をして当選して政治家になる場合も世襲扱いされることがある。例として、旧久留米藩主であり有馬伯爵家の当主である有馬頼寧が襲爵前に久留米から衆議院選挙に当選して衆議院議員になった例や、旧肥前鹿島藩主であり鹿島鍋島家の当主である鍋島直紹佐賀県知事選挙に当選して佐賀県知事になった例が世襲と扱われた例もある(どちらとも公選政治家の子孫ではない)。また長州藩士で島根県令・佐藤信寛の子孫が佐藤栄作岸信介(旧姓佐藤。岸家へ養子入り)、岸信夫岸信千世安倍晋三である。

世襲政治家は、日本では長らく与党として政権を担当し、権力に近い立場にあった保守派、即ち自由民主党に多いが、日本社会党・民社党などにも若干の例が見られる(自民党は小泉政権下で安倍晋三幹事長が候補者公募制度を導入し、公認候補者の選定過程に変化が見られたが、公募による候補者選定はあくまで補完的役割にとどまり、同じ新人であれば世襲候補者が優先的に公認を獲得する)。社会党では河上丈太郎松本治一郎江田三郎山花秀雄横路節雄などの幹部の実子・養子が政治家となっており、社会党から分裂した民社党社会民主連合にも世襲政治家が存在した。また新自由クラブは幹部のほとんどが国会議員・地方議員を父に持つ世襲政治家であった(このことを理由に「新自由クラブは長持ちしない」と結党時に指摘した議員もいた。詳しくは中村寅太の項を参照)。自民党以外の政党にも世襲政治家は存在しており、民主党ではかつての最高幹部である鳩山由紀夫小沢一郎羽田孜はいずれも世襲政治家であった。一方、公明党日本共産党には世襲政治家はほとんど存在しない。日本共産党は「“三バン”を受け継がない地方議員と国会議員では世襲とはなり得ない」と定義しており、共産党候補者の選挙費用は全額党が負担し、引退者が後継を指名したりもしないため、世襲国会議員は共産党にいないとする[注 4]。また母川田悦子(2000年から2003年まで衆議院東京都第21区選出議員)の落選から4年後に当選した川田龍平(2007年から2013年まで参議院東京都選挙区選出議員、2013年から参議院比例区選出議員)も、世間的には母親より息子が先に知名度が高く注目を集めていた点はあるが、母親が国会議員であったことや選挙区が重複していたことや母親の秘書を務めていたことから川田も世襲政治家に入っている。

同一選挙区における世襲候補は「三バン」を保持し、他の新人候補と比べて有利に選挙戦に臨む条件が揃っているため、当選後は地盤固めをすることで次の選挙戦を有利に進めることが可能である。また引退に伴う世襲の際に、資金管理団体を非課税で相続できることも問題視されている[2](他の民間団体の資本金相続は相続税の納税対象に該当する)。

同一選挙区に複数の公認希望者が存在する場合は分裂選挙になることもある。後継者指名前に政治家が死亡した場合の弔い選挙においては分裂選挙が起こりやすい。例えば中川一郎が急死した際には、息子の中川昭一と秘書の鈴木宗男の分裂選挙になっている(当時は中選挙区制であったため結果的には両者とも当選)。

政権交代が起こった第45回衆議院議員総選挙では、自由民主党が歴史的大敗を喫したが、このとき自民党で当選した119人のうち世襲議員は50人と、非世襲議員よりも選挙に強いことを実証した。この結果、自民党衆議院議員に占める世襲議員の割合は、解散前の32%から42%、ほぼ4割となった。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙の小選挙区当選者のうち、自民党は世襲議員が33%(218人中72人)を占めた[4]

なお、世襲候補が立候補した選挙で、世襲させた側の先代の政治家(中川昭一でいえば中川一郎)の名前を書いた投票については、世襲候補の得票とはならず無効票となるという事例が1950年の参議院選挙で存在する(櫻内義雄小瀧彬の項を参照)。2023年7月現在の世襲4世の政治家は古屋圭司小泉進次郎川崎秀人林芳正(1代とび)、橘慶一郎(1代とび)、麻生太郎岸信千世の7人である。なお5世は鳩山二郎平沼正二郎の二人だけで上記合わせて所属政党はいずれも自民党である。
世襲制限

GHQ下の日本では公職追放令によって公職追放該当者の三親等内の親族と配偶者は一定期間[注 5]は対象の職への就任が禁止される規定があったが、公選公職に関しては公職追放該当者以外の三親等の親族や配偶者は規制対象外だったため立候補することができ、公職政治家の世襲制限は行われなかった。世襲政治家を問題視する立場から、親族の選挙区からの立候補規制などの世襲立候補の法規制案が浮上するが、日本国憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて(中略)門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」や国会議員についてはさらに日本国憲法第44条「両議院の議員(中略)の資格は(中略)門地(中略)によつて差別してはならない」において「門地の差別」に該当し、法規制には憲法規定の問題が浮上する可能性が存在する。

2008年に、民主党は世襲立候補規制の法案作成に着手するが、先述の憲法規定の問題もあり世襲の立候補規制を断念し、世襲の制限については資金管理団体の世襲禁止を盛り込むことになった。また2009年には法案成立とは無関係に、党の内規として資金管理団体及び選挙区を親族に継がせる事は認めない旨を定めた[5]。民主党は「制限される世襲」として以下の条件を全て満たす者と規定している。
現職議員の配偶者及び三親等内の親族であること。

当該議員の引退、転出に伴って連続立候補をすること。

同一選挙区から立候補すること。

これから国政に参入する新人については、以上の条件を全て満たす場合これを公認候補としないことを決めた。ただしこの内規は第45回衆議院議員総選挙から適用されるものであり、これ以前に世襲した候補者に対しては遡及されるものではない。第46回衆議院議員総選挙で元首相の羽田孜が引退し、参議院議員・国土交通大臣だった子息の羽田雄一郎が後継出馬を表明した際には、この内規に抵触するとして出馬断念に至っている。

なお、第45回衆議院議員総選挙で福島1区から当選した石原洋三郎は父が2003年まで福島1区を地盤とする衆議院議員であった石原健太郎であるが、6年間の空白がある。民主党は同一選挙区でも6年間の空白があれば一等親の親族の立候補を認めている。また2003年衆院選と2005年衆院選は福島1区で石原健太郎の長男(石原洋三郎の兄でもある)である石原信市郎を公認候補として擁立しており(2回とも落選)、旧自由党時代も含めて福島1区から2000年衆院選、2003年衆院選、2005年衆院選、2009年衆院選と連続して石原一族を政党公認候補として擁立し続けていることになる。民主党は国政選挙で落選して国会議員になったことがない候補については世襲制限規定に含まれないとして、同一選挙区から世襲候補が連続して立候補することを認めた。他にも、石井登志郎(兵庫7区当選議員)が養父(伯父)の石井一(2005年まで衆議院兵庫1区選出議員・2007年当選参議院議員)と選挙区は重なっていないが同一県内の選挙区において衆議院立候補に限れば4年間の空白期間を経て世襲をした例や菅川洋(広島1区立候補・復活当選)は父の菅川健二(2001年まで参議院広島県選挙区選出議員)と衆参は異なるが選挙区が重複する中で8年間の空白期間を経て世襲をした例や高橋英行(愛媛4区選出議員)は祖父の高橋英吉(1969年まで衆議院旧愛媛3区選出議員)と40年の空白期間を経て世襲した例があった。

制限の対象となるのはあくまでも「現職議員」の後継者に限られていたため、第47回衆議院議員総選挙では新潟6区において前回総選挙で落選し政界を引退した筒井信隆の娘婿である梅谷守が後継として筒井に続き民主党公認で立候補した(落選、その後2021年の第49回衆議院議員総選挙で初当選)。


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