イギリスの貴族院では、世襲貴族と呼ばれる貴族は世襲によって政治家を引き継ぐことが可能であった。保守党議員が圧倒的であった世襲貴族が、世襲により議席を確保し続けることは、労働党政権にとっては民意を反映しない障害になるため、1997年の総選挙で圧倒的な勝利を収めたブレア首相の労働党政権によって世襲議員制度の改革がなされ、世襲貴族については互選などで選ばれた92人のみに限定されることとなった。庶民院では、日本とは異なり立候補するのに地元や出身地の選挙区から出る事は多くなく、議員が当選しやすい選挙区を選んだり、頻繁に選挙区替えをする文化があるため、わざわざ子が親と同じ選挙区を選ぶ事はほとんど無い。例えばウィンストン・チャーチルの父ランドルフも庶民院議員であったが、選挙区は異なっており、ウィンストンは5つの選挙区を渡り歩いている。 第一次世界大戦前から両大戦間にかけて断続的に首相を務めたエレフテリオス・ヴェニゼロスの次男であるソフォクリス
ギリシャ
2011年まで首相を務めたゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウは、父アンドレアス
も1980年代から1990年代に首相を務めている。また祖父ゲオルギオス・パパンドレウも、戦後に何度も首相を務めた。パパンドレウの前の首相だったコスタス・カラマンリスも、コンスタンディノス・カラマンリスの甥にあたる。キリアコス・ミツォタキスも父はコンスタンディノス・ミツォタキス元首相、姉ドラ・バコヤンニも2006年から2009年まで外相を務めた。 ジャン=マリー・ル・ペンの娘であるマリーヌ・ル・ペンと、孫(マリーヌの姪)であるマリオン・マレシャル=ルペンは、それぞれ2012年フランス議会総選挙で議員になる[17]。ル・ペン親子は「国民戦線」の党首も2代にわたって務めている。 ルーマニア社会主義共和国時代、ニコラエ・チャウシェスク大統領は息子のニク・チャウシェスクを要職に就けていたが、世襲が実現する前に社会主義体制自体が崩壊した。 他の先進国と同様、アメリカの選挙でも大金を動かす資産力が必要となるため、同一の一族から多数の政治家を輩出することが多い。特に、ジョン・F・ケネディ第35代大統領のケネディ家や、ジョージ・H・W・ブッシュ第41代大統領とジョージ・W・ブッシュ第43代大統領のブッシュ家などの一族から出た政治家は数多い。大統領や連邦議会議員・州知事などの政治家を多く出す一族を揶揄して「王朝」と呼ばれることもあるが、当事者達はそう呼ばれることを嫌っている。 ブッシュ家のほかに親子で大統領になった例は、アダムズ家の第2代大統領ジョン・アダムズと第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズの親子がある。 ピエール・トルドーの息子であるジャスティン・トルドーは首相になった。 アルベルト・フジモリの子供であるケイコ・フジモリ、ケンジ・フジモリは国会議員である。ケイコは親子2代の大統領を目指したが対立候補に敗れた[18]。 第2代大統領オマール・ボンゴ・オンディンバは、息子のアリー・ボンゴ・オンディンバを外務大臣や国防大臣の要職につけていた。オマールが2009年に死亡すると、アリーは大統領選挙に出馬し、大統領職に就任している。 第4代大統領ウフル・ケニヤッタは、初代大統領ジョモ・ケニヤッタの息子である。 第3代大統領のニャシンベ・エヤデマは独裁政権を築き、2005年の死後にトーゴ軍 第4代大統領のイアン・カーマは、初代大統領であるセレツェ・カーマの息子である。なお、カーマ家はボツワナ国内の有力部族の旧王家でもある。
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トーゴ
ボツワナ
脚注
注釈^ 東京都の選挙区地盤継承という意味では祖父の鳩山一郎の世襲という意味合いもある。祖父一郎は1959年引退し、邦夫は1976年当選であり、東京都選出衆議院議員職の空白期間は17年間。
^ 中選挙区(小田原市や平塚市等がある旧神奈川3区)から小選挙区(父親の洋平は小田原市等の神奈川県第17区、息子の太郎は平塚市等の神奈川県第15区)への移行に際し、父親である洋平の地盤を棲み分ける形となった。
^ 岸信夫は政治家としてのキャリアは当初は2004年からの参議院議員であり、2012年から衆議院議員に鞍替えしている。
^ 共産党議員についても親族が政治家である場合はある。例として以下がある。
聴濤弘参議院議員(1992年に比例区初当選で初当選)の父親は聴濤克巳衆議院議員(1949年に東京都選挙区で当選するも1950年に失職)である(国会議員職世襲の空白期間は42年間)。
米原昶衆議院議員(1949年に鳥取県全県区で初当選)の父親である米原章三は共産党員ではないが貴族院議員(鳥取県選出の多額納税者議員で1949年に退職)である(国会議員職世襲の空白期間は1年間)。
志位和夫衆議院議員も父・志位明義は元船橋市議会議員(1975年初当選で1983年に退職)であり、1993年に初当選した中選挙区時代の志位の選挙区である旧千葉1区には船橋市が含まれている(政治家職世襲の空白期間は10年間)。
上田耕一郎参議院議員(1972年に東京都選挙区で初当選し、1998年に引退)は不破哲三は衆議院議員(1969年に東京6区で初当選し、2003年退職)の兄にあたり、弟が3年前に衆議院において東京6区で当選した衆院議員である中で1972年参院選において東京都選挙区で当選している。
また穀田全が2007年参院選に共産党から比例区候補として立候補したが(結果は共産党枠で3人当選の中で12位落選)、父親は穀田恵二衆議院議員(1996年から京都1区から立候補し、2007年時点までに完全落選なく4回が比例復活当選)であった。
^ 政令では指定日から10年間と限定されていた。現実には1952年4月28日に日本が主権を回復したことにより公職追放令が廃止され、1952年4月28日をもって公職追放者はいなくなった。
^ ガーンディーの姓はインディラの夫、フィローズ・ガーンディーに由来するものでマハトマ・ガンディーと血縁関係にはない。
出典^ 世襲が国会議員のパフォーマンスに与える影響について
^ a b 【一筆多論】世襲批判にどう答える
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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