世良公則&ツイスト
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世良公則&ツイスト期

デビュー曲「あんたのバラード」では、静かなピアノイントロから一転する世良のあまりにもワイルドボーカルスタイル[出典 20]、ド派手なアクションは[出典 21]、多くの人の度肝を抜いた[出典 22]。これらは、それまで洋楽ロックコピーが多かった日本ロック界に新鮮な息吹を吹き込むものだった[出典 23]。「あんたのバラード」(オリコン最高6位[20]、46万枚[5])、「宿無し」(最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(最高1位)、「」(最高5位)、「燃えろいい女」(最高3位)と、立て続けに大ヒットを飛ばし一世を風靡した[出典 24]。ロックバンド・ミュージシャンが、シングルヒットを続けるのはそれまで前例が無く[出典 25]、ロックを大衆化させる推進力となった[17]。また1978年7月10日に発売したデビューアルバム世良公則&ツイスト』はオリコンで1位を記録[出典 26]、発売と同時に40万枚を売り上げた[17]。日本のロックバンドとしては、デビューアルバムが、チャートの1位を記録したのはこのアルバムが初めてであった[出典 27]

世良公則&ツイスト、Char原田真二の三組は「ロック御三家」と呼ばれ[出典 28]、初めて『ザ・ベストテン』などのテレビのランキング番組や歌謡番組、「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演した[出典 29]。世良公則&ツイストはロックバンドとして初めてアイドル雑誌の表紙も飾り、これがロックとは無縁だったファンを獲得することとなり、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓して、新たな潮流を生み出すきっかけを創り出した[出典 30]。世良は様々な動きがセクシー[出典 31]、女性の目をロックに向けさせた[42]。先輩ミュージシャンからは「テレビなんかに出やがって」と反発され[49]、「あんなミーハーなのはロックじゃない」などとロック専門誌音楽評論家からは総スカンを喰らったが[出典 32]英語のロックに対する遠慮が蔓延していた時代に[4]、臆面もなく日本語でロックを歌い切るアーティストがブラウン管に出てきたことは[51]、日本の音楽シーンにとって大きな衝撃だった[出典 33]。世良を見て初めてロックに触れた人も多く[33]、世良の独特なドスの効いた声にスタンドマイクを縦横無尽に"操り"ながら歌うスタイルは、放課後清掃の時間に柄の長いほうきをマイクに見立ててマネをする男子の定番[出典 34]。勿論、若い女性層からの支持は圧倒的だったが[5]、男子小中高生の支持も高かったといわれる[5]。これがさまざまなベストテン番組で1位になる原動力となった[5]

世良公則&ツイストの活躍が特に目立ったのが1978年1月から始まった『ザ・ベストテン』だった[18]。社会的にも影響力の大きかった当番組に於いて、全盛期の沢田研二山口百恵西城秀樹ピンクレディーら、歌謡曲の大スターを抑えて、初年度のシングル・年間第1位(「銃爪 (ひきがね)」)[18]、年間第3位(「宿無し」)を獲得[53]


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